経済学の考え方を日本を代表する経済学者が研究体験を顧みながら、平易な言葉で解説。アダム・スミス以来の経済学のさまざまな立場を現代に至るまで追って、今後の展望、経済学のあるべき姿を考えるための材料に。
戦後の経済学
一九四五年、第二次世界大戦はようやく終わった。しかし、世界の主要な国々は戦火の跡が無惨な形で残され、経済的、社会的な荒廃は、歴史にその比をみないほど深刻であった。そのときからすでに四十年以上の歳月が流れた。この間に、世界経済、とくに日本経済はかつて経験したことのないような、大きな変革を遂げてきたが、経済学もまた大きな飛躍を経て、その内容もまた大きく変わってきた。
戦争直後、世界の経済学者がどのような状況に置かれていたのか。それをもっとも端的に物語る一つのエピソードがある。一九四四年八月、パリは連合軍によって解放されたが、イギリスの経済学者ジョン・ヒックスは、パリ入城の第一陣のなかにいた。パリに入った最初の夜、ヒックスは、フランスの経済学者の集まりがあると聞いて参加したのであった。屋根裏の薄暗い部屋に案内されたヒックスは、そこでモーリス・アレーのセミナーに出ることになった。それは、アレーが長い時間かけて、数理経済学にかんする抽象的な論文を説明するというセミナーであったことに、ヒックスは驚きの念を禁じえなかった。パリ市内こそかろうじて戦火を免れたものの、フランス全土、あるいはヨーロッパ全体がまさに灰燼に帰したような戦乱のなかで、抽象的な数理経済学のセミナーを開こうとはまったく意表をつくことであった、とヒックスはのちになってから述懐している。
モーリス・アレーは戦中期からのフランスの指導的な経済学者で、経済理論の多くの分野できわめて独創的な仕事をすると同時に、エコール・ド・ミンにあって、多くの経済学者の育成に当たった人である。一九八三年度のノーベル経済学賞を受けたジェラール・デブリューや経済理論と計量経済学の分野でフランスの第一人者であるエドモン・マランヴォーはいずれもアレーの弟子であった。アレーはまた、いささか風変わりな風貌と学風をもった人でもある。たとえばアレーの貨幣数量説にかんする論文があるが、それは時間のはかり方を、そのときどきの経済活動の水準と関連させて定義した心理学的時間という概念を導入して、貨幣の流通速度がほぼ一定になるということを、アメリカ経済について実証するというものである。
他方、ヒックスは周知のように、『賃金論』『価値と資本』『景気循環論』など数多くの著作を通じて、戦中から戦後にかけて一つのエポックを形成し、現在の経済学のあり方に対して、もっとも大きな影響を及ぼした人の一人であるといってよい。ヒックスは一九七二年、ノーベル経済学賞を受賞した人でもある。(アレーも一九八八年にノーベル賞を受賞した。)
パリ解放の夜、アレーとヒックスの邂逅は、戦後の経済学の発展をそのまま象徴するもののように思われる。経済学はあくまでも、現実の経済制度をその分析の対象とし、表層的な経済現象の底にある実体を、透徹した視角と冷厳な論理をもって解明しようとするものである。戦後の荒廃の真只中にあって、近代合理主義の立場を貫きながら、経済学の研究に立ち向かう、この二人の経済学者のなかに、戦後の経済学の特徴と、その発展の方向をみることができるといってしまっては言いすぎになるのであろうか。
戦後の荒廃の最中に近代合理主義を貫き経済の実態を追い求めた経済学者の執念。研究は容易ではなかったろうに。一筋の光を学問によって導き出す崇高な行為。そのエネルギーたるや。
現代経済学の展開
一九七〇年代から現在にかけて、世界の資本主義諸国(社会主義諸国を含めてもよいかもしれない)の置かれている状況を不均衡の時代というように表現した。ここで、不均衡というとき、二つの意味をあわせもっている。市場的不均衡と社会的不均衡とである。市場的不均衡は、市場における需要と供給との乖離が、市場機構を通じて必ずしも、解消しえないような制度的、社会的な諸条件が存在し、ときとしては、螺旋的に不安定的となるような状況が存在するときを指す。資本主義的市場経済制度のもとでは、企業、個人などの個別的な経済主体の行動は、相互に輻湊した関係をもちながら、それぞれ主観的な価値基準にしたがって、分権的に決定される。市場機構の安定性というとき、このような個別的経済主体の行動を集計して得られる需要関数と供給関数の形態に依存して規定されるものである。個別的な経済主体の行動様式も、またその背後に存在する経済主体の範疇規範そのものも、社会全体の文化的、歴史的、政治的な構造的諸要因と密接に関わっているものであって、これらの諸要因と切り離して、たんに合理的な経済人としての行動様式として分析することはできない。経済循環のメカニズムもまた、このような、より高次元の構造的特質を反映し、また逆に、市場経済における経済循環の結果が、これらの構造的諸要因の変革の契機ともなっている。市場的不均衡という現象は、このような、いわば制度的な諸要因と切り離すことのできないものであって、その分析は、新古典派理論、あるいはケインズ経済学が展開してきた分析的手法をはるかに超えたものが必要となってくるであろう。
第二の不均衡概念である社会的不均衡は、市場的不均衡のそれと密接な関わりをもつが、さらに市場経済制度の根底に存在する社会的、制度的諸要因に直接関わるものである。それは、一つの国民経済を構成する希少資源あるいは生産要素にかんして、その相対的比率が必ずしも調和のとれたものではなく、しかもその蓄積が、バランスを保つようにおこなわれるようにはなっていないという現象である。希少資源が、どのような基準にもとづいて、私的な資本と社会的共通資本に分けられるのかということ自体、歴史的、社会的、政治的諸要因に依存して定められるだけでなく、その蓄積過程もまた、政治的、社会的、文化的諸要因によって大きく左右される。社会的不均衡というとき、このような過程のなかに、社会的共通資本と私的資本の相対的バランスを維持するようなメカニズムを内蔵していないような状況を指す。政府の政策的対応が、市場経済に内在する不安定的要因を相殺することができず、私的資本と社会的共通資本の間の相対的バランスが崩れて、しかもそのバランスを回復するメカニズムが、政策的な対応をも含めて考えたときに、すでに失われているような状況を社会的不均衡と呼ぶわけである。
現代経済学の直面する主要な問題は、市場的不均衡と社会的不均衡という二つの不均衡によって特徴づけられる、現代資本主義の置かれている病理学的状況をどのように描写し、どのように分析し、どのような方法を通じて解決できるかということを模索しようとするものであるといってよいであろう。
このような視点にたって、現代経済学の理論的展開を眺めるとき、二つの不均衡概念に照応して、不均衡動学の理論と社会的共通資本の理論という二つの大きな流れが存在していることに気付くであろう。
市場的不均衡と社会的不均衡。現代資本主義における病理を映し出し、分析。どう解説するとよいか模索するのも良いだろう。なかなか一般市民だと経済の問題まで考えることはないが、日々の生活や物価高などが起こると嫌でもにもその影響を受ける。そんな得体の知れない経済について勉強できる書籍。
経済学のあるべき姿は、一般の人たちにもわかりやすく経済を教えること。物価高や株価の上下動、私たちの日常生活に直結する経済学について学んでいこう。
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