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近代家族の成立と終焉 新版|上野 千鶴子|ファミリィ・アイデンティティの視点から、揺れ動く家族の現実を鮮やかに

「ファミリィ・アイデンティティ」の視点から、現代の家族の実情を浮き彫りにさせると同時に家族はこれからどこへ向かうのかを考察した書籍。

家族の臨界

九〇年代の初めに『近代家族の成立と終焉』のなかで提示したファミリィ・アイデンティティ研究(本書第Ⅰ部一章) は、当時はまだ先駆的であった「主観的」家族研究として家族社会学の研究者から一定の評価を得た。それというのも、この時点までに、社会学のなかでも人類学のなかでも「家族」の客観的な定義はほぼ解体しており、代わって「家族」に対する解釈学的で構築主義的なアプローチが要請されたからである。後者のアプローチは、「家族とは何か?」を問う代わりに、「家族を何であると人びとは考えるか?」という問いの方へ、対象をシフトした。それまでの家族の定義要件のなかには、居住の共同、血縁の共同、性の共同、家計の共同、家業の共同、家名・家産の共同等々があったが、それらの共同性の基盤がそれぞれ分離、解体し、何をもって「家族」を定義すればよいかについて、研究者のあいだでも合意がむずかしくなっていた。

わたしの「FI」(ファミリィ・アイデンティティ)研究は、そうした家族の変貌と解体現象を反映したものである。「ファミリィ・アイデンティティ」という概念を当てたのは、自己アイデンティティと同じく、「アイデンティティ」という概念が集団の自己定義にも適用可能だからである。そのうえで、「家族とは何か」という問いに対して、当事者による自己定義をあれこれの記述的な言説で語ってもらうのではなく、「あなたにとって家族とはどの人をさしますか?」という操作化可能で客観的に検証可能な問いを設定したことが、アプローチの独自性であり、分析を効果的なものとした。「どの人びとまでを「家族」の範囲に含めるか」という問いを立てることで、家族の境界の同定が当事者によってのみならず、第三者にも判定可能になった。そのような「主観的」境界と、「世帯」という居住単位に見られる「客観的(空間的)」境界とが一致するかどうかを、第三者の目から判定できることも、この概念に分析的な有効性を与えた。

家族というのは血縁のみという僕のような人から、会社組織の中でファミリー感を売りにするものとか色々。客観的な見え方からすれば同居している人々は家族に見えるといったややこしいことに。どこまでが家族かオンラインゲームでベトナム人との交流があるのだがそこでは、同じ同盟のプレイヤー同士を家族みたいにいう人も。コミュニティによってはこういうこともあるのだなと。

生きられた経験としての老後

老年期の文化理想と現実  E・H・エリクソンが「アイデンティティ」という概念を発達心理学に導入したとき、発達課題の上の最大の「アイデンティティ・クライシス(アイデンティティの危機)」は、青年期に集中していると考えられていた[Erikson 1968/エリクソン 1973]。エリクソンはもともと青年心理学の臨床的研究者として出発し、その中でアイデンティティというキーワードを発見した。「発達development」という課題も、当初はエリクソン自身にとっても、青年期以降には展開していかなかったし、青年期という「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」の危機をのり切れば、成人のアイデンティティはおおむね安定したものと考えられた。

だがその後、成人になっても、三〇代には三〇代なりの、四〇代には四〇代なりの「発達」課題が成人の生涯に待ち受けているという考え方が広まっていく。たとえば結婚、出産、子離れ、引退などは、そのつどアイデンティティの編成替えを要求するような、人生上の発達課題である。アイデンティティの再編期には、それまで保持していたアイデンティティが有効性を失う。この再編の課題をうまく達成できればその先には「成熟」が待っているが、うまくいかなければアイデンティティは危機に陥る。成功するにせよ失敗するにせよ、アイデンティティの再編期をのり切るのは、困難の多い事業である。

人生のあらゆるステージを、やむことのない「発達」ととらえる見方は、きわめてアメリカ的とも言える。こういう人生観は、たとえば『論語』に言う「三十而立。四十而不惑。(三〇歳にして立つ。四〇歳にして惑わず。)」とはずいぶん違う。しかしこの『論語』の言説も、人生観 というより人生 訓 というべきもの、つまり、こうあってほしいという人生についての一種の文化理想を述べたものである。おおかたの人は、三〇歳になっても「而立」もせず、四〇歳になっても「不惑」に達していない自分の人生の「現実」が、この「文化理想」からほど遠いことを実感していることだろう。

成人期を「不惑」と見る人生観が、生涯を通じて終わりのないアイデンティティの変動があるという見方に席を譲ったのは、一つには成人期の心理の現実について多くが知られるようになったからであるが、もう一つには、成人期についての「文化理想」が壊れたことによる。その最大の理由は高齢化である。

40になっても「不惑」に達していない自分の人生の「現実」(笑)痛い痛すぎるこれは俺自身。成人が18歳になる世の中と逆行する俺。それでもなんとかなると生き方は変えない。

家族の形が変わりゆく中その永続性をいろんな観点から見ていく。元服が若かった時代から時を経て成人年齢は引き下げられました。そんな中現代の家族像を見直します。

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