英語化の動きは明治時代より議論され今まで途切れることなく提示されてきた。最近では小学校での英語教育の早期化や高等教育でも英語偏重の世の中が加速の一途をたどっている。第四回産業競争力会議では大学の授業でも「グローバルな人材の育成」を挙げ、5割を英語で行い英語化を急速に進めることを提案。企業などでも社内公用語を英語とするところもちらほら出てきている。
当たり前のことだが、日本人は、日本語を用いる時に思考する力を最も発揮できる。英語の授業を増やすと、研究レベルで世界水準になるといえるのか。
グローバルな人材を欲しているのはどうやら財界らしい。日本市場は人口の減少により縮小傾向にあるので、アジアの新興諸国を含む海外の需要を取り込まなくてはならない。そう言った需要から「スーパーグローバル大学創成支援」なるものまで出てきて、近年文科省は改革案を提示。「改革に同意しない大学は地位が低下しますよ」と脅迫まがいの予算配分を絡めてくる。
高所得者(エリート階級)の為の新自由主義
最近では上位1%の富裕層の所得占有率が急拡大し、戦前のピークと並ぶ(20%を越えている)までになっている。これに関してはトマ・ピケティ著『21世紀の資本』が詳しい。資本の国際的移動の大幅な自由化でボーダレスになったことにより、世界を股にかけるグローバルな投資家や大企業はより儲けやすくなり、さらに豊かになりつつある。
こうした現状から「海外の投資家に好まれる環境づくり」、英語でビジネスがしやすい国にするということが考えられている。
英語化により失われるもの
日本語を学ぶと柔和になったり、一方的な自己主張を控えたり、人の話をよく聞いたり、謝ることを覚えたりと「思いやり」「優しさ」「気配り」などといったものが自然と身につく。また、日本語の会話では、相手の気持ちを察する力も数多く用いられる。
アメリカの有力紙の駐在特派員は「日本には知識層と庶民の区別がほとんどなく、一般庶民も知識層と言ってよいほどの知識を有していると述べている。」といっている。この中間層の知識水準の高さも日本を守り外来の知に学びつつ近代化を図ってきた結果である。こういったことからも、日本語を守り「翻訳」「土着化」を基本とした国づくりは継承していくべきだという。
僕は英語が全くできないので、母国語(日本語)で豊かな人生を送れる社会を継続してほしい。英語はビジネスで必要に迫られた人や、外国旅行好きなど必要な人のみ使えるようになてばいいと思う。学ぶことはよいことだと思うがそれを国レベルで強制させられる(特区とか作って公用語を英語にするとか)のはどうかと思う。
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