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やり過ぎる力|朝比奈一郎|混迷の時代を切り開く真のリーダーシップ論がここに

リーダーシップというと組織を率いる力と思われがちだが、真のリーダーシップとは、一人でも果敢にチャレンジするマインドであり前例や組織のしがらみに関係なくチャレンジする力を「やり過ぎる力」と呼び紹介。

新たなレジェンドを創る。 それが「やり過ぎる力」

アップルの創業者で、数々の驚異的な製品を世に出し続けて人々に感動を与えてくれたスティーブ・ジョブズ氏は、見方によっては、とんでもない人格破綻者であるとも言える。

スタンフォード大学での卒業式における彼の来賓スピーチは、彼の生い立ちについての率直な語り口、本当に好きなことをやっていると不思議に世界がつながってくるという話、死に対する意識の持ち方などが感動を呼ぶ名演説として有名であり、彼の名声を高める結果となったが、実際の彼の日々の言動に関する評価は必ずしも高くない。

部下や仲間を怒鳴りつけることは日常茶飯事であり、彼から離反していく人は少なくなかったし、自分が私生児で苦労しているにもかかわらず、自分の娘をなかなか認知せず(ようやく受けたDNA判定で 94・41%の確率で父親であるとの結果が出た後、それでもしばらく周囲には自分が父親でない可能性がかなりあると主張していた模様。やがて認知)に顰蹙を買ったこともある(この後も含め、ジョブズのエピソードはすべてウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』講談社刊による)。

レストランやスーパーでは、出入り口近くの身体障害者用の駐車場が空いていると、いつもそこに駐車するので、彼が主唱していた「Think Different」をもじって「Park Different」などと陰口を叩かれていた。人間性に関しては、少なくとも当初は、著名な経営者中で最悪の部類に属すると言えよう。右スピーチの中でも触れているように、彼は、そうした言動も一因となって、自ら創業したアップルを一度は追い出されてすらいる。

私もジョブズ氏の業績を認めることについては人後に落ちないつもりだが、自分が彼の部下になりたいか、彼の部下として務まるか、と聞かれると躊躇せざるを得ない。

では、どうして彼が世界中で愛され、尊敬されているのか。ジョブズ氏が評価されることとなった「やり過ぎる力」とは何なのだろうか。

アップル・コンピューターを創作した原点、つまり、コンピューターは、法人・組織のためにあるもの(機械を用いた「支配」という観点)、という位置づけから、人間の自由のために活用されるもの(政府や組織に対峙する個人にとっての「武器」という観点)、という存在に、大きくコンセプトを変えたことなどが典型だが、「宇宙に衝撃を与える」「Think Different」などと唱えて、多くの前例・常識を打ち破ってきたことであろう。

ジョブズの仕事ぶりは今ならパワハラだとか言われて訴えられてもおかしくないほどのバリバリぶりだったという。伝説になる人というのはやり過ぎが多い。そんな仕事に圧倒的な熱意を注ぐ人が成功するのだろう。熱意を他の同僚たちと共有できればそれはパワハラにはならないのだろう。難しいところですね。

「畳の上の水練」では意味がない。 まずはやってみることが重要だ

第二部ではここまで、いかにして「やり過ぎる力」をつけるかということをテーマに、3つのコツと3つの本質的心構え、あるいは大局観を持つための勉強方法など、書物や出会いなどから学ぶ方法について述べてきた。第二部の最後に、「実際にやってみる」(実践する)ということについて考えたいと思う。

不断の学び・問いかけにより独自の大局観を身につけ、3つの本質的思考をベースに、「さあ、踏み出そう」と思っても、そういう思いに至ることと、実際に踏み出すこととの間には、まだギャップが残っている。

学ぶだけでは、所詮「畳の上の水練」であるからだ。いかに陸上で泳ぎのノウハウを身につけても、実際にプールなどで泳いでみないことには始まらない。また、欧米流のリーダーシップ論を日本で実践しようとしてもうまく当てはまらないこともあるなど、ノウハウそのものも、そのまま役立つとは限らない。

水泳のたとえで言えば、流れの速い川での泳ぎ方、プールでの泳ぎ方など、状況に合わせて実践のコツが変わってくる。つまり、実務・実態がわかっていないと、たとえ、いかに横串的に「やり過ぎる力」の重要性や、画期的なリーダーシップ論を振りかざしても、意味をなさないこともある。

私が東京大学に入学して間もないころ、法哲学(正義について考える学問。ハーバード白熱教室で有名なマイケル・サンデル教授などが専攻している)の大家である長尾龍一先生が、1年生向けの民法等の基礎法学の講義を担当されることになり驚いた記憶がある。具体的な法律と法哲学はまったく別の学問だと思っていたからだ。

長尾先生は、初回の講義で、われわれに対し「法哲学をやる以上、実定法がわからないということはあり得ない。私はずっと実定法についても研究し続けている」とこともなげに述べ、「ジュリスト」という判例集を用いて、さも当然のように民法の講義を始めた。

このエピソードと並行して考えるに、実践にかかる実態的な部分の理解なくして、哲学としての「やり過ぎる力」論や、リーダーシップ論を語っても意味がない。

日本人は「一億総評論家」と言われたりもするが、世間には、自己研鑽を怠ることなく勉強を重ね、国や社会のあり方を真剣に憂いつつ「立派な批評家」になっている人が、政治家・公務員・メディアや法曹界などを中心にたくさんいる。

彼らの多くは、的確に今の日本の問題点を指摘し、文章で、あるいは映像で、リーダーの不在や仕組みの不適切さを嘆くが、実践は伴わないことも少なくない。残念ながら、本当にリスクを取っている一部の人を除き、彼らの指摘はいかにその内容が正しくても、人々の心を、そして、社会を動かすには至らない。

米国大リーグで活躍するイチロー選手は、あるインタビューで、「何を言うかではなく、誰が言うかが大切だ」という趣旨のことを述べていたが、実践していない人の言説は、内容の当否以前に、一般的には見向きもされないであろう。

同じ言葉でもそれを言う人によって説得力に違いが出る。実績がない人のすごい言葉よりある人のなんでもない普通の言葉の方が響いたりするもの。リーダーはなんでもない言葉を金言として発せられるだけの存在感が必要。

リーダーにとって必要なのは指導力よりも始動力。やり過ぎた人の持つ牽引力を分析してリーダー論まで昇華させた書籍。

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