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自分の構造 逃げの心理と言いわけの論理|加藤 諦三|強い自分を作るための知恵をアドバイス

一人でいると大丈夫なのに他人といると緊張を伴い、リラックスできないのは何故か?それは精神的自立ができていないから。不安や虚しさが増幅していく過程を研究することで導き出した自分が自分を好きになる四大法則、避けるべき八つの行動など、強い自分を作るための知恵をアドバイスします。

自分を実際以上に見せようとするのは・・・・・・

自分を実際以上に見せたいと思う人は多い。僕も昔はずいぶん自分を実際以上に見せたいと思った。しかし、この自分を実際以上に見せることの危険に気づいていない人は案外多い。

自分を実際以上に見せることの危険は、それによって実際の自分を自分が嫌いになるということである。われわれは自分を実際以上に見せることによっていよいよ実際の自分に自信を失う。いよいよ実際の自分を自分が軽蔑するようになる。

実際の自分に自信があれば、何も無理して自分を実際以上に見せようと努力などしない。実際の自分を自分自身が尊敬できないからこそ、他人にむかって自分を実際以上に見せようとするのであろう。実際の自分以上に自分を見せようとすることで、実は実際の自分を自分が卑しめていることになる。

そして他人が自分を卑しめること以上に、自分が自分を卑しめることは危険である。危険であるとは、そのことのほうが、より生きることを辛く重くしてしまうということである。ギリシャ悲劇『オイディプス王』のなかの一節に「自ら招いた苦しみはいちばん痛い」という名言がある。

われわれは他人の軽蔑よりも自分で自分を軽蔑することによって、より不幸になる。よそおえばよそおうほど、人生は重苦しく不安になっていく。それはよそおうことで実際の自分を 貶めているからである。他人にむかって実際の自分を隠すことで、実際の自分を不必要に卑しめることになってしまう。

自分を実際の自分以上に見せようとする行動は、他人は実際の自分を受け入れてくれない、好いてはくれない、尊敬してくれないということを前提にしている。そしてそのような行動はその前提を、より人に確信させることになってしまう。

そのことが何十年もつづけば、まるで自分は生きるに値しない生命であるかのごとく感じはじめたとしても無理ないであろう。

実際の自分を隠しつづける人は、自分が感じる喜びさえも、「くだらないことを喜ぶ」という理解の仕方をし、自分が喜んでいることさえ他人に隠そうとする。

何かを隠している人は、自分に自信がないからたえずオズオズビクビクしている。実際の自分が人前に明らかになれば、自分は他人に受け入れてもらえないと錯覚しているのだから、ビクビクしているのは当然である。

自分を実際以上に見せようとする、つまり自己の隠蔽は、隠蔽してしまった自己を限りなく卑下していく。したがって、そういう人はいつも他人に気がひけている。気がひける必要のない時、気がひける必要のない所でも気がひけている。それは現実の自分は価値のないもの、として隠蔽してしまったからである。しかしその隠蔽した自己を心の底の底でよく知っているのは他ならぬ自分である。他人の不当な要求にさえ「ノー」といえないという人は、このように自己を隠蔽している人であろう。

彼は自分を隠すために他人の要求に「イエス」といっていなければならないのである。他人にむかって常に「自分はこんなに価値があるのだぞ」と示していないと不安になるのである。

自分を実際以上に見せようとしていた人たちは、まずノートとペンを持って、そこに、自分を実際以上に見せようとしたことで、どのようなプラスが自分にあったか、箇条書きにしてみるとよい。

次にどのようなマイナスがあったか、箇条書きにしてみることである。たとえば、他人といるといつも何かビクビクして疲れる、などということをノートに書いてみるとよい。

そのプラスとマイナスの二つを比べて、そのような行動がいかにくだらないか、自分の眼にはっきりさせることである。

周りに合わせていい顔ばかりしていると、自然と自分を大きく見せがちなのが人間かと。等身大の自分は意識していないと僕には無理。人生の随所で自己肯定感を高めるための承認欲求に支配されてしまいます。いわゆる盛れた自分に満足するとそうでない自分を晒すのが怖くなる。すっぴん無理と言っている人みたいなもんです。

現実と直面する以外に活路はない

卑怯な自分に直面していくこと、あの時俺は卑怯だった、ずるかった、誰のためでもない、俺自身がずるかったからこそ、あのように行動したのだ、と認めること、そのことを通して人間は、卑怯な自分を乗り越えていかれるのではないだろうか。

ちょうど、キェルケゴールが、神への絶望を通じて神に至る、といったごとく、逆説的に聞こえるが、たしかに、卑怯な自分を乗り越えていくためには、卑怯な自分を徹底的にみつめることが必要である。

自分は心の冷たい人間だ、自分の利益のために、あの時、何十年来の友人を裏切ったのだ、そうハッキリと自分をみつめること、そのことを通してしか、温かい人間になる路はないのではなかろうか。

自分があの葬式で涙を流したのは、自分が冷たい人間だからである、自分にむかって温かい〝ふり〟をしただけである、そう自分の心の冷たさをみつめることを通してしか、成長はないのではなかろうか。

そこで「どうせ俺は卑怯だよ」とか「どうせ私は冷たい女よ」とかいうのは、直面した自分に耐えられなくて逃げているのである。甘えているのである。

自分に直面し、その自分を背負って生きていこうとする時、われわれの中に明快な感情の芽が出てくるのではなかろうか。

あのブドウはスッパイといった時、不機嫌と憂鬱への路を歩みだしたのである。あのブドウを自分は欲しかった、しかし自分には手がとどかなかった、そう自分にハッキリということを通してしか、明快な感情に至ることはできないのである。

オイディプス王の勇気を持つことが、オイディプス王の悲劇を避ける唯一の路なのである。

自分に直面する、現実に直面する、ということは、決して自責の念にかられるということではない。

自分で自分を責めている時、実は自分を責めることで自分の罪から許されようとしているのである。

自分で自分を責めているのは、その人がいまだ甘えている証拠である。まだ正面から自分の運命を直視していない証拠である。逃げようとするあがきが自責である。

いくら自分を責めてみても救われることはない。自分を責めていたところで、怖いものは怖いのである。

自責の念にかられている人は、まだ自分への執着を捨てきれず、何かを恐れ、何かから逃げようとしている人である。自分の犯した罪を背負って生きていく覚悟ができていない人である。

どうせ〇〇というセリフは甘えである。欠点がわかっているならば直す努力をすべきなのだから。それをしないで自分を卑下するのは精神衛生上も良くない。逃げるための口実として用いられるこれらのことはを封印して次へのステップを。

逃げの心理と言い訳の論理を分析し解決策を一緒に考えます。どのような状況で「逃げ」が発生するのか人生逃げがちな人が読むと共感できます。そして逃げないためのマインドセットを学び次へのステップへ!!

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