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プライバシーという権利 個人情報はなぜ守られるべきか|宮下 紘|権利としてのプライバシーを問いなおす

アプリのトラッキングなど日々僕らの行動データはビッグデータとして利用されています。時にその情報が悪用されることも。リスクも多分に含むデータの提示について僕らはきちんと理解しないといけない。思わぬ自己開示がトラブルの元に。

グローバルの中の日本

プライバシー保護に関する拘束力を有する国際条約は、現在のところ、一九八一年に採択された欧州評議会「個人データの自動処理に係る個人の保護に関する条約」(第一〇八号条約) のみです。第一〇八号条約は、欧州人権条約における私生活尊重の権利を具体化した国際法であり、フランス・ストラスブールにある欧州評議会と欧州人権裁判所における英知を反映しています。第一〇八号条約は欧州評議会の加盟国以外にも批准の門戸を開いており、南米やアフリカの国々を含む五五カ国(二〇二〇年一二月時点) がこの条約を批准してきました。

第一〇八号条約は、二〇一八年に改正されましたが、前文には「人間の尊厳」という文言を掲げ、よりヨーロッパ的な価値へのコミットメントがうかがわれます。条約の解説書によれば、人間の尊厳によって、個人が単なる客体として扱われないような個人データの処理が行われるための措置が講じられなければなりません。条約において、「データ主体」という言葉が用いられているのは、人間が常にデータの「主体」であり、データの「客体」にはなり得ない、すなわち人間とデータとの主従関係の不変性の意味が含まれています。

第一〇八号条約の特徴は、第一に、国籍や居住地にかかわらずあらゆる人を対象に、官民問わずデータ保護の原則が適用されることです。欧州人権裁判所は、第一〇八号条約が安全保障や司法警察を含むあらゆる分野に適用されることを確認し、私生活尊重の権利への制限は法律に従い、民主社会において必要な場合にのみ認められてきました。

第二に、第一〇八号条約はデータの自動処理を主要な規制対象とし、自動処理に伴う見えざる脅威を可視化し、個人の保護を図ろうとする枠組みを提示しています。

プライバシーは自身で守らないとダダ漏れに。僕のようにブログやSNSを何の気なしに運用していると身バレします(笑)幸いおじさんのそんな情報需要がないのか実害は大量のスパムメールぐらいのものだが、たまにそれ以外も。

監視とプライバシー権

新型コロナウイルス対策  かつてミシェル・フーコーは、ペストの流行に伴う監視の文脈において、「動くものは死をもたらし、しかも、動くものは殺される」と論じたことがあります。すなわち、人が動けば、ペストに感染して死んでしまうし、ペストで死なないにしても、動く者は監視員に殺されるのです。

ペストに襲われた都市における監視との区別をするため、フーコーの著書にはベンサムの「パノプティコン」が引き合いに出されていました。パノプティコンとは、中心の塔から監視者が、その塔を円周状に取り巻く建物の独房の様子を見ることができるが、その逆に監視者は塀により見られないという視線の不均衡をもたらす建築の設計です。ここでは、高い塔から監視者が実際に個々の独房の人を見ていることが問題ではなく、見られている側に対する可視性による自己規律を促す権力構造が重要なのです。人間は、他者の視線を気にして生きているのです。

二〇二〇年から世界中で猛威をふるった新型コロナウイルス感染症の対策をきっかけに、感染者および一般の人々の行動の監視がどこまで許容されるかについて各国で議論になりました。国によって感染状況は異なるため、プライバシー保護のあり方を一概に比較することは困難です。それでもなお、プライバシーをある程度犠牲にしてでも感染者の追跡や行動制限を行った国がある一方で、日本ではプライバシーを最大限尊重し、感染者の位置情報を追跡するような方法ではなく、感染者との接触を確認できるスマートフォンアプリを自主的な形で利用することを奨励してきました(表5参照)。

現代の技術を用いれば、人の行動を監視することは簡単です。たとえば、韓国では、感染者の追跡を徹底するため、クレジットカードの利用履歴、防犯カメラの映像、そしてスマートフォンの位置情報をマッチングさせて個人の行動を監視し、自治体では感染者の所在を公表してきました。感染症対策として一定の効果はあったようですが、個人のプライバシーの権利を犠牲にし、緊急時が平時の前例となりかねないか、事後の検証が求められます。また、ハンガリーでは、二〇二〇年五月四日、ウイルス感染防止の緊急事態を理由に、政府が立憲的統制を解除するべく、個人データ保護法が保障する権利の執行を停止する政令を発出しました。

このような個人のプライバシー権を犠牲にしてでも、緊急時において感染症の対策を優先させるという選択肢があることは確かでしょう。

僕は発信を続ける以上プライバシーはないものだと思っていて、情報ダダ漏れでも大丈夫なメンタルを持つことの方が大事かと。監視社会、お互いが監視し合う世の中、なんだかさもしいが仕方がないのか?

個人のプライバシーより社会の成長という世の中でプライバシーをどう考えるか?情報流出が怖い人はSNSや発信全部やめるか制限して利用するしかない。世知辛い世の中になったものだが便利さとのトレードオフで仕方がないのかも。

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