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バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ|鶴見 良行|明治以来の日本と東南アジアの歪んだ関係が鮮やかに

日本のスーパーや八百屋で手に入るバナナの9割を生産するミンダナオ島。その生産の裏側を覗き見。そこには多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦、さらに日本と東南アジアの歪んだ関係が鮮やかに浮かび上がる。

バナナはどこから?

日露戦争の前年、台湾から

今日、バナナは、四季を通じてどんな田舎でも手に入る果物になった。値段も安定している上に、果物の中ではもっとも安い部類に入る。タネがなく、皮も自分でむけるから、子どもたちのおやつには恰好の食品である。

バナナがこのように大衆の日常的な食品となったのは、実は、日本市場向けの専用農園が、フィリピン南部のミンダナオ島に開発されたからだ。開発が始まったのは一九六〇年代末だから、まだ一三、四年しかたっていない。それ以前の日本は、台湾や、エクアドルその他の中南米諸国からバナナを輸入していた。

殿様や皇室に献上する珍奇な食物としてはいざ知らず、商品としてのバナナが最初に日本にやってきたのは、一九〇三年(明治三六年)、日露戦争の前年である。台湾の北端に位置する 基隆 の芭蕉商、都島金次郎が日本郵船の西京丸で篠竹製の魚かごに詰めて七かごを神戸に送った。「芭蕉」は、バナナの中国語名で、北蕉、香蕉ともいう。都島がどういう人物だったかつまびらかでないが、日清戦争の結果、一八九五年に新しく植民地となった台湾の物産を日本に送り出していた貿易商だったのだろう。バナナの輸出が始まったばかりのことだから、「芭蕉商」という肩書きは、おそらく後世の命名である。

日清戦争(一八九四―九五) と日露戦争(一九〇四―〇五) にはさまれたこの時期は、日本社会の階級的な矛盾が激化し社会主義の運動が拡がった時期であったが、同時にまた、外国文化への関心が民衆の間に浸透した時代でもある。札幌麦酒がビア・ガーデンを東京・浅草の吾妻橋に開き、神戸に本邦初のゴルフ場が開設され、さらに最初の洋式公園である日比谷公園が完成したのは、いずれも一九〇三年である。そんな時代相がバナナへの関心もよんだのだろう。

日本向けバナナの主要生産地は、台湾の高雄州だった。日本の植民地となってまだ間もないころ、山岸幸太郎という人が高雄州の屛東地区でバナナ栽培を始めた。かれが、日本人の嗜好に適した品種に改良し、内地で国産果実の出廻りの少ない四―六月をめざして送り込み、その後、台湾の生産者が積極的に優良品種の育成に努めたのだという。

台湾バナナと日本の季節の関係は、実は重要である。今日、フィリピン・バナナについても同じ関係が見られるからだ。ミンダナオ産バナナは季節とは関係なく、一年を通じて収穫される。ところが日本では、夏のスイカ、秋のカキ、冬のミカンなど四季おりおりの果物があり、私たちの嗜好もそれに慣れているから、どうしても夏、秋、冬にはバナナの需要は落ちこんでしまうのである。

バナナに四季の別がないことは、熱帯では天恵だった。カッサバ(タピオカはこれから作る。マニオクともいう)、タロイモ、ヤムイモ(トロロの仲間のイモ)など根菜類とともに、いつでも主食の代用とすることができたからである。それが、台湾の植民地化とともに、四季によって需要が上下する日本市場と結びついたことは、南と北の不幸な関係の始まりになった。

バナナは特に季節感がない果物という印象は一年中収穫されるという特性が起因しているのだと。他の果物との競合で夏、秋、冬に需要が落ち込むようだがそれでも通年手に入るのはありがたい。

農園で働く人びと

これまで見てきたように、バナナ栽培は、一九六〇年代末以降ミンダナオの地に伸びていった。バナナは七〇年代の末にフィリピン輸出物産の第八位を占めるまでになった。この章ではまず、バナナ産業がフィリピン経済にとってどのような意味をもっているかについて考えてみよう。

六〇年代初めからバナナの仕事でミンダナオへ出かけている人に話をきいた。「ダバオの人たちは少しずつ豊かになっています。Gパンをはくようになったし、それまで裸足だったのがゴム草履をはくようになった。バナナが人びとを豊かにしたんですよ」という。日本資本のダバオ・フルーツが「私たちは四二〇〇人ものフィリピン人を雇っている」といつも強調しているのと同じ論法である。

だがバナナに限らず、この一世紀ほどをふり返ってみたときに、輸出は、それほどフィリピン人を豊かにしてきたといえるだろうか。すくなくとも、歴史的にいって、輸出入が増えるごとに底辺の民衆が貧しくなっていったことは確かだ。もともとはスペイン領メキシコと中国をつなぐ交易の港でしかなかったフィリピンが、自国の輸出商品をもつようになったのは、一九世紀半ばである。タバコ、麻、砂糖などが輸出物産である。確かに輸出は外国市場とのつながりを生んだから、そのお蔭で舶来商品を味わうというようなたまさかの幸運もあったろうけれど、外国人の経営する農園で外国人のための作物をつくるのは苦痛だったはずだ。暮しをまかなえないほどに賃金が安ければ、なおさらのことだ。

結果からすると、植民地主義が浸透して輸出農業が発達した土地では、貧富の格差がもっとも激しくなった。輸出作物を生産する農民に食糧の米を提供したルソン中部パンバンガの農民も同様である。

貧富の格差が激しくなると農園で働く人の環境が気になる。消費者側からすると値段が安いのはありがたいが、農園で働く人の生活を守るために価格に転嫁する事も考えなくては。スターバックスがコーヒー豆の農園の労働環境を変えるためコーヒー豆の値段を高くしているのはなかなか良い取り組みだと思っているので、毎回コーヒー豆はスタバで買うことにしています。

身近なバナナと言う果物と日本の関係を詳しく解説。日本での需要の拡大で出荷数が増えたバナナ。そこで働く人たちの様子を知ったらちょっとありがたく感じるだろう。

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