あなたはお気づきだろうか。我々は、去年の参議院選挙で、戦後最強の権力者を出現させたことを。その名は、言うまでもない、内閣総理大臣・安倍晋三だ。戦後の歴代総理大臣が誰一人として手に入れることができなかった、日本国憲法改正の発議すら可能にする、絶対的な権力を掌握したのだ。憲法改正は、彼の悲願である。しかし、最初のチャレンジは、お腹の調子が悪くて、突如、政権を手放し、頓挫した。岸・安倍ファミリーの悲願は、われわれ国民を幸せにするのだろうか?歴史とともに「保守政治」とは何か徹底検証した書籍。
戦後保守ーー「政治の大衆化」を準備
政治ができるだけ失敗しないようにするにはどうしたらよいのか。戦後の政治家たちは、「調整」をすることだと考えた。「調整」を通して、より多くの異なる意見をくみ取ること、そして、リーダーの独断を許さず、なるべく多くの人々が納得する結果を探る作業を徹底することだ。ここから、「エリート主義」とは異なる、「大衆化された政治」のリーダーシップが見えてくる。戦後保守の真髄もそこにある。戦後保守政治は「エリート主義」と「大衆化された政治」の間を行き来することになった。
戦争の敗北は、エリートたちが、常に正しい道を選択するとは限らない、むしろ、大きな過ちを犯すということを実証した。民主主義であっても、現実に権力を行使するのは一部のエリート。選挙で選ばれた政治家と、国家試験を通過した行政官だ。彼らでも十二分に〝失敗する〟可能性を内包することを大衆は知ったのだ。岸の強権的な「エリート主義」を改め、対話と調整を重視した政治手法へ転換。また岸がこだわった憲法改正について池田は、こう述べ
「このような論争は、本来、問題の本質が国民各層の間で十分論議せられ、相当の年月を経て国民世論が自然に一つの方向に向かって成熟した際に、初めて結論を下すべきものと考えます」
これで事実上、憲法改正は先送りされた。戦後民主主義の価値とは「最大公約数」を大切にするということで、その延長線上の「所得倍増計画」も多くの国民が賛成だった。落とし所は政治的な「調整」によって生まれる。したがって、戦後の「大衆化された政治」では「調整型リーダーシップ」が重要な要素となった。しかしリーダーシップというのは所詮トップダウン。みんなの意見を幅広く聞くことは大事だが、聞いているだけではいつまでたっても結論は出ない。
岸のDNA
「拉致問題がなければ今の安倍は存在しない」自民党内で、こう分析する議員は多い。安倍人気を一気に盛り上げたものが、拉致問題への積極的な取り組みと、北朝鮮への強行姿勢だったことは間違いない。
早くから拉致被害者の家族と接触し、一九九七年(平成九年)には議員連盟を発足。小泉の訪朝には官房副長官として同行し「拉致を認め謝罪がないなら平壌宣言の調印はすべきではない」と強く主張したそうだ。拉致被害者五人が帰国した際は、北朝鮮が「一時帰国」と主張したのに対し、「国家の意思として五人を返さない」と決断したという。この強攻策が功を奏し、五人の家族全員の帰国まで実現した。その後、北朝鮮は許せない!横田めぐみさんは生きている!被害者全員を取り戻せ!と世論は沸騰。「強さ」の演出が指導原理となった小泉政権以降の日本で、大衆のこの声が安倍を支え、安倍もそれに乗った。これらは戦後保守が慎重に抑制してきたナショナリズムを覚醒させた。そもそも安倍には「国家主義者」だった岸のDNAというナショナリズムへの共鳴版があった。
左翼嫌い
安倍はいわゆる「左翼」を徹底的に嫌った。安倍にとって「左翼」は、暴力と無秩序の具現化に過ぎなかったと私は推察している。一九六〇年(昭和三十五年)、岸の安保改定に反対するデモ隊は、東京は渋谷区南平台にあった岸の自宅まで押し寄せた。
左翼というものを徹底的に嫌った安倍は学校教育でも戦争指導者や自民党への批判を聞かされ、どうやって反論するか考えながら育った。総理となった今、そのエネルギーは爆発しているといえよう。安倍保守が岸の理念、主義主張からの連続を「保守」しようとするならば、あの悲惨な戦争経験を心に刻もうとする人々が時代の逆行を警戒するのは当然の真理であろう。
靖国参拝
そして、安倍は、二〇一三年(平成二十五年)十二月二十六日に靖国参拝に踏み切った。中国と韓国の反発は織り込み済みだ。この行動に対し、とうとう、アメリカ政府が反応した。「失望した」国務省から発せられたこの一言を皮切りに、安倍への批判が続いた。アメリカのシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)の上級副所長のマイケル・グリーンが、「参拝は日米関係の助けにならない」また前米国務次官補のカート・キャンベルも「首相参拝は日本にとって試練になる。日中間の緊張が高まるからだ。米国は大きな不安を抱いている」(「日本経済新聞」電子版、二〇一四年一月十六日付)知日派の代表格二人が強く批判した。
小泉が毎年参拝しても関与してこなかったアメリカがここにきて、なぜ安倍の参拝を批判したのか?それは安倍の歴史観に対し、アメリカが警戒感を持ったと考えるのが妥当であろう。
〝安倍一強〟となった今、痛みを伴う「革新」に挑むかと思いきや、直近の負担回避や景気回復、そして支持率のため「大衆化」から脱却しない。二〇一六年(平成二十八年)十月五日、自民党は総裁任期の延長を決定、安倍は後五年、自民党総裁を続ける可能性が出てきた。アメリカではドナルド・トランプが大統領になり移民政策や経済政策などで豪腕を振るっている安保面での大改革を訴え当選したがそこは少し軟化しているようにも思えるが、これから大きく環境が変わる可能性も。そして安倍はじっと「狼」の出方を窺っている。
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