1997年から16年、5840日、寺に訪れる人の悩み悲しみと直接向き合ってきた著者は言う「凹んだ気持ちをバネにして動くこと」が幸せになる道、と。実践した人を通して凹んだ気持ちが動き出す46話。
人の思いが集まる場所
経営の神様P・F・ドラッカーがある本の中で「世界の非営利組織の原点は日本のお寺だ」と書いています。非営利組織とは身近なところでいえば、学校や病院、福祉施設や公設の劇場など、お金儲けを目的としない公共の機関をいいますが、そのルーツは日本の寺院だというのです。もちろん公共サービスなどなかった時代のことです。人間が生きることに精一杯だった頃、それでも人間は生きることの糧として、学びや癒し、楽しみといった「心のよりどころ」を求めました。制度もなければお金もありません。上から授かるものではないけれど、だからこそ自分たちでつくりあげるものとして、お寺の活動は存在したのでした。
人付き合いが希薄になった今こそ、コミュニティーとしてのお寺の存在を見直すべきかもしれません。僕はなぜだかお寺の息子と縁があり小学校、中学校、浪人時代、契約社員時代と必ず身近にお寺関係の人物が。皆、今は付き合っていませんが、人望の厚い人物が多かった気がします。公共サービスに頼っても生活が無理とかいう風になったら(今の日本ではそんなことはまずないが)お寺に駆け込むのもアリかもしれません。
心の避難場所は近くにある
あまり報道されていませんが、東日本大震災の被災地では多くの寺社仏閣が、急場の避難所になりました。近くの檀家さんや住民が逃げ込んできて、自然発生的になってしまったのです。テレビ中継されるような大型の避難所とは違います。役人が常駐しているわけでもないし、公からの物資もボランティアも後回し、それでも寺の住職と寺族たちが自ら被災しながら、寺を開放したのです。その数は、東北全体で百を超えるといわれます。東日本大震災の直後から数日間ではありましたが、地域の人たちが身を寄せあったお寺がたくさんありました。家は何とか大丈夫だったし、津波の被害も免れた。でも余震が起きるたびに不安になる。ひとりでは怖い。ご近所どうし一緒に生き抜く場所として、お寺に駆けつけた人は少なくなかったのです。
テレビ報道では避難所といえば、公民館や、学校の体育館などばかりがテレビに映り、お寺のそういった活動は画面に映ることはありません。人知れず被災者に寄り添っているのがお寺です。もし、お世話になっているお寺が近くにあって安全ならば避難所でなくてお寺に向かうのもありでしょう。
夜という時間のやさしさを活用
お寺の数は全国に七万六千あって、コンビニより多いとよくいわれます。確かに身近な場所にたくさんお寺は見かけるが、学校や仕事から帰る頃には山門はがっちりと閉まっていて、「立ち入り禁止」のようにしか見えません。やはりお寺の敷居は高いのです。さて、夜になるほど、にぎわいがあるという珍しいお寺があります。應典院。訪れる人は昼間の何十倍もあって、山門は夜の十時まで閉まりません。演劇の公演や講演会を夜間にやったりしているのですが、それにも増して、夕方以降になると打ち合わせだ、勉強会だ、ワークショップだと、十人足らずの小さな集いが寺のあちこちで同時多発的に発生しています。職場や学校帰りに、ほんの数時間だけ自由になれる場所。昼間とは異なる人たちとつながれる場所。夜のお寺はひそやかな溜まり場となるのです。
夜に賑やかになるお寺。そんなイメージを持ったことはないが、意外とそういうお寺は多いのかも。昼間とは違う人との繋がりを求めて人々が集う。そんな場所がお寺なのです。
おかげさまでの気持ちを忘れない
「衆生、仏を礼すれば、仏これを見給う。衆生、仏を唱うれば、仏これを聞き給う。衆生、仏を念ずれば、仏も衆生を念じ給う」(法然上人) 法然上人のこの言葉は、阿弥陀仏と私たちとの間柄を言い表していると、私は受け止めています。特定の誰かが介在しているわけではありません。仏も衆生も、すべてひとつの共鳴箱の中。ののさまと私の応答が、ひとつになって響きあっているのです。阿弥陀仏(ののさま)は、私たち凡夫の凡夫たるを「悲しむ」ことをもって、大きな慈しみを与えるという慈悲の仏です。愚かな凡夫を叱るわけでもないし、正すわけでもない。「ケンカをしたり」「ウソをついたり」する凡夫のありようは、幼児と大差ないのかもしれませんが、仏をけっして「悲しませない」「よろこんでもらう」ために何をなすべきなのか、と自分を見つめ直すことは、これからの生きるよろこびや生の充実に通じていくものではないかと思います。
自分を見つめ直すことは宗教への信仰がなくての大事なこと。自己を見つめ直すことで、生きる喜びとは何か問いかけ、それが生の充実に繋がっていくものなのです。
辛いことがあっても、とりあえず今日だけ泣いて、よく眠る。そして次の日から気持ちも新たに笑って過ごす。そんな生活リズムが身に染みついていれば、怖いもの無し。そんな生活の一部にお寺を加えてはいかがだろうか。SNSの普及によって、様々なコミュニティーが生まれる中、古式ゆかしいコミュニティーであるお寺を見直すきっかけとなるような書籍です。
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