性格を変える必要はなく、ベラベラと話す必要もなく、「外向的」である必要もない――大事なのは「聞き手」中心の話し方。言語を「私的言語」と「公的言語」の2つのタイプに大きく分けて日本語を振り返る新しい試み。「生のことば」による事例を通して、また、日本語や日本社会を読み解くうえで避けて通ることのできない「ウチ」「ソト」という概念を通して、これからの時代に必要な「コミュニケーション能力」とは何かを考える。
日本の「察しの文化」に未来はあるか
A きのうちょっと用があって鎌倉へ……
B あ、おいでになったんですか。
C このままではまずいと思いまして、少し社内の改革を……
D しようと考えていらっしゃるわけで……
それぞれの会話は、最初の人が文の前半だけを言う不完全文だが、そのあとを受けて、二人目の人が文の後半を完成させるというスタイルになっている。つまり、二人で一文を作り上げているという点で、これも「共話」と呼ばれる。この共話というスタイル、お互いに何を言いたいのかなんとなく分かる場合、実に心地よいものだといえる。自分ですべてを話さなくても、相手がそれとなく分かってくれる。自分一人が無理をして話さなくても、ちゃんと相手が理解してフォローしてくれる。そして、二人で文を共同して完成させることによって、心地よい親近感が生まれてくる。欧米人の間でも、こういった共話はもちろんないことはないが(特にカウンセリングの場合など)、日本人ほど多く見られない。この共話の中にも、日本独特の「察しの文化」がある。一から十まですべてを話さないと通じない関係なんて、日本人にとっては窮屈でたまらないかもしれない。それよりも、相手が自分のことを理解し、はっきり言わなくても察してくれる――これはこれで理想的だ。頼る・頼られる、甘える・甘えられるというのは、気の利いた関係だといえる。
行間を読めとか察しろとか日本ならではの会話スタイルは、今後どうなっていくのか。若者のコミュニュケーションツールをみていても、まだまだ「察しの文化」は根強く残っているように思う。逆におじさんの僕には理解できないぐらい省略されたメッセージのやりとりをしているようにさえ見える。若者同士が繋がればいいわけで、そこに他の大人が入って行きづらい方が好ましいのだと思うが。
つい聞いてしまうスピーチを話す人
欧米ではプロンプターという機器を上手く使い、「即興」的な雰囲気を出そうとする例も多く見受けられる。しかし、日本ではまだプロンプターは演説の場面ではほとんど普及していない。プロンプターを使うにせよ、使わないにせよ、用意された原稿を読みながら話すというスタイルは、いってみれば聞き手を無視し、自分の世界に閉じこもってしまうことにもつながる。つまり、話し手と聞き手の間に心理的なバリケードが生まれ、話し手の「本気度」が伝わりづらくなることになる。原稿を見て読んでいるために、しっかり相手を見て話す、という基本的な話のスタイルがまったくできないことになってしまう。ところが、小泉の「原発ゼロ」スピーチでは、用意された原稿を読むというスタイルとは正反対、まさに「即興」で、自分の本心を、熱意を込めて語りかけるというスタイルがとられている。もちろん、手元に要点だけをまとめたメモのようなものを置いていたようではあるが(演台の上に置いていたようだが、聴衆の位置からは確認できない)、それを見ることはほとんどない。聴衆を見渡し、手を振り上げたり、両手を広げたりもする。まさに身振り手振りで「即興」的にスピーチを進めていく。要するに、用意された原稿(もしそういうものがあるとすれば) から離れ、聴衆を真正面から見ながら話す、というのが第一のポイントだ。
僕ら一般人と違って政治家は発言に細心の注意を払わなければ政治生命を絶たれることだってある。なのでプロンプターなどを使って最悪の事態を避けるよう工夫するのはありだと思う。しかし、人々を魅了するにはやはり自分の言葉で、ライブ感たっぷりに即興でスピーチした方が聴衆の心をグッとつかむことができるような気がする。
日本人とスピーチ
「沈黙は黄金なり」と言われるように、話すよりも、沈黙にこそ価値がある。あるいは、よく分かっている人は黙っているのに対し、よく分かっていない人はベラベラと話すといった考え方は封建時代の名残のようなもので、実にけしからんものだと言っている。ベラベラ話すのは、能力のない人、あるいはあたかも能力があるように見せたい人のすることであり、ほんとうに能力のある人は、寡黙か、あるいは口を開いても、流れるように雄弁に語るのではなく、むしろボソボソとつかえながら語るくらいがいいという考えが世間に広まっている。だが、それはよくないことだと言っている。しかし、そういう考えは当時だけでなく、今日に至るまで根強く残っているのではなかろうか。
物事に対する理解が浅い人の方が物事に対して語ろうとする傾向が多いように感じる。ついこの間覚えた専門用語を使って話してみたり、聞いているとなんだか薄っぺらい会話してんなぁと思う若者がいかに多いことか。「沈黙は黄金なり」とはよく言ったものだ。
人々の興味を引いてやまない話し方。それは「聞き手中心」の話し方だ。内向的な性格を直す必要もなければ、ベラベラ喋る必要もない。これからの時代に必要なコミュニュケーション能力とはどんなものかを考える書籍。
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