心理学や社会学の専門家ではない理系の研究者の著者が孤独について語っているということで、違った視点から孤独をみることができると思いこの電子書籍をダウンロードした。
孤独が表れるのは、孤独ではない状態からの陥落
友達がいなくて寂しい、というのは、友達と過ごすことの楽しさを知っていて、それができなくなった場合に生じる感情だ、ということ。
これは確かに的を射ている、仕事をしているときはそれなりに仲間もいて楽しくやっていたが、それがなくなった直後は幻聴で昔の仲間の声が聞こえるほど孤独に打ちひしがれた経験がある(これは精神疾患のせいもあるので万人に言えることではないだろうが)。成功体験があるとそのギャップで凹むこともあるということか。孤独について考えることは、それだけで人間らしい行動で価値があり、これから生きていくための意味でもあると著者は言う。
孤独を作るのは自分
仲間や友達の喪失は結局は、自分を承認してくれる存在の喪失で、周囲に大勢の人がいたとしても、自分が承認されてないことがわかれば、寂しく感じその人たちをが失ったように感じる。
自分が認められていない、という判断は、多分に主観であるから、自分で自分の寂しさ、孤独感を誘発することになる。
自分の個性を磨くことを生き甲斐としそれにより寂しさを遠ざける。もっと「役に立つ奴」「凄い奴」になることで周囲の人間が無視できないようになるという考えのもと精神的な安定を得て、その人なりの楽しい人生を送ることができる。偉大な科学者や数学者を思い浮かべると物理や数学での個人的な思考はエキサイティングであり大きな楽しみであったはずである。こういったことから、仲間や友達を美化したドラマや小説、漫画が多いのは、個人を救う者が趣味とか哲学、知識であったとしても、それでは話が作れないというだけのことだ。僕は趣味や知識などを蓄えることで仲間や友達から得られるものとは違った充実感を得ている。それによって孤独感はある程度和らぐものだ。
虚構が作る強迫観念
多くのエンターテインメントは孤独の大事さを伝えず、人気のあるキャラやアイドルを使って例外なく「つながり」をアピールする。そうすることが商業主義のセオリーで子供達はそれに洗脳されている。こうして「孤独を怖れ、人とつながる感動に飢えた人々」は「大量生産された感動」を買ってくれる「良い消費者」となる。そうして作られた「大勢」は「少数」を否定する。「少数」は「大勢」を認めているのにだ。相互に認め合うべきというのが、著者の言い分で僕もそう思う。
あまりにも美化した虚構、つまり結婚をして子供を作ってという人生が「人の幸せ」だ、という決めつけが崩れかけているだけなのである。もっと自由に生きられるのではないか、孤独であっても自分の人生なのだから好きなようにしたい、と気づいた人が増えている、というだけのことだろう。非常に自然な流れだと思われる。
現代では孤独でも生きやすくなった
現代では孤独でも生きやすくなったし、社会の恩恵も受けることができる。買い物はネット通販でほぼなんでも翌日には配送してくれるし、首都圏に住んでいればカフェなども最寄りの駅にある。大勢に囲まれて生きたい人も、一人でひっそり暮らしたい人も共存できる世の中になってきた。しかし、メディアなどでは未だに偏見があり、なんかの容疑者が捕まると、犯人はネットの中だけで生きていたとか、ばかりクローズアップし、犯人は会社員で家族がいて、友達もたくさんいるリア充でしたという報道は全くない。まさに洗脳的報道。つながりすぎの肥満より、時々孤独になった方が健康的だし、思考や行動も軽やかになるという。
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