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20世紀最大の哲学書、ハイデガー『存在と時間』がこれで理解できる

      2017/09/07

真の「存在」は「存在」(西洋哲学で考えられてきた意味での)ではない。これがハイデガーの「存在の問い」の主張だ。この真の「存在」の解明こそが、ハイデガーの『存在と時間』の最大の関心事となる。古代ギリシアにおける西洋哲学の始まり以来、今日に到るまでの二千数百年の間、これまでまったく問われたことのない「存在の問い」を問うという哲学的構想のスケールの大きさが『存在と時間』の魅力を形成している。真の存在とは何か?解き明かしていこう。

存在の意味は時間である

われわれは飛んでる鳥を見るとき、鳥が今、現前しているだけではなく、すでにそうあった姿とこれからそうありうる姿、すなわちその鳥の「どこから」と「どこへ」も一緒に捉えている。すなわちわれわれが鳥の「飛んでいること」を了解するときには、その了解は「現在」だけでなく、「過去」と「将来」にも関わっており、まさにそのことに基づいて、鳥が「飛んでいること」を「飛んでいること」と理解しているのだ。

難解なので噛み砕いて言うと、存在の意味は存在者が現前することだけでなく、「過去」「将来」も内包しているということだ。存在を単に「現在」だけでなく、それを越える「過去」や「将来」と関連付けることで鳥など存在者の種類毎の存在様式の違いも了解できるようになる。今ここに「ある」ということはコンテクスト性を持っていて、「ある」の意味はその文脈を把握することで初めて理解可能となる。ハイデガーはこのコンテクストを「時間」として捉え直していると言ってもいいだろう。

「存在論的」と「存在的」

「鳥が飛んでいる」、「ボールが飛んでいる」というとき、同じように「飛んでいる」といっても、それぞれの「飛ぶこと」の意味は異なっている。しかしそれらに対する日常的な関わりにおいて、われわれはそうした「飛び方」の違いをあえて反省することはないだろう。そうしたことを反省したりすれば、その時点で存在者との円滑な関わりが中断されてしまうからだ。このように存在了解を持ちながらも、とくに主題化せず、存在者との関わりに没頭している状態をハイデガーは「存在的」と呼んでいる。

「ボールが飛んでいる」「鳥が飛んでいる」といった存在者の存在様式をあえて反省し、それを表立たせることもできる。それが存在の主題化であり、存在論を遂行することに他ならない。そうした態度が「存在論的」と呼ばれる。加えてハイデガーは「実存論的(existenzial)」と「実存的(existenziell)」という術語を用いるが、これも「存在論的」と「存在的」に準じて、現存在の存在である「実存」を表立たせる態度とそうでないものを指している。

われわれは「気分づけられている」

例えばわれわれが「気分が良い/悪い」、「調子が良い/悪い」というとき、それは心の状態と身体の状態の両方を包括して語っているのであって、どちらか一方の状態だけを問題にしているわけではない。そもそも心の状態と身体の状態はそれほど截然特別できるようなものではなく、われわれは気分や調子といったとき、基本的に心的であると同時に身体的でもある状態を想定している。状態は単なる心的状態ではなく、根源的な身体性をも包括するものなのだ。

ハイデガーの『存在と時間』には身体論が欠けているという批判がしばしばなされるが、彼の情態論の真意を理解できていないだけだ。『存在と時間』では、「不機嫌」について「現の存在がこうした不機嫌において重荷としてあらわになる」と言われている。簡単に言えば、「不機嫌」は何かがうまくいっていないために自分の存在も含めた状況全体が重荷と感じられること。あるいは特定の何かがうまくいってないというわけではないにせよ、とにかく生きることが面倒だと思われるような気分であるということだ。

不安の構造

(一)不安の「直面しているもの」は「世界ー内ー存在そのもの」である。先程確認したように、不安の対象は恐れの対象とは異なり、世界内に現れる物事ではない。したがって不安において脅威を与えているものは、ある具体的な有害性を持った存在者ではなく、その意味において、不特定の者である。

(二)不安にはもちろん、現存在が「不安がる」という契機が含まれている。ある意味では当たり前のことだが、現存在が「不安がる」ことなしには不安は存在しない。ハイデガーはこの「不安がること」が、「根源的に、また直接的に世界を開示する」と述べる。

(三)不安における「案じているもの」という契機は、現存在のある特定の存在様式や可能性といったものではない。不安における脅威は不特定なもので、何か特定のものに脅かされているわけでもない。このように述べた上で、ハイデガーは不安が「案じているもの」を「世界ー内ー存在そのもの」だと規定する。

わかりやすく言えば、不安を抱くことで、世界の意義全体として問いに付され、それを軌を一にして、自分のあり方をどうするかが突きつけられているのである。こうした不安の構造を読み解いていくと難解で逆に今ある不安はなんなのかわからなくなり、不安も次第に薄れていくようにさえ感じる。

哲学では有名な書籍の入門書ということで読んでみたが、やはり一度読んで理解できるような簡単なものではないと感じた。しかし頭が混乱するのでなんども繰り返し読もうとは思わないあたりが僕は凡人なのだと痛感した。

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