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興味のあることや本の感想などを綴っていく雑記Blogです。

自己自身を問うことから新しい生き方を発見する

      2018/02/19

蓮如が遺した「知れるところを問う」という言葉を手掛かりに、近現代の諸問題に思いを巡らす。本願寺法主の思索の結晶がこの一冊に。

ソクラテスの無知の知

そこで私の連想したのはソクラテスのことである。彼については、周知のことゆえ、解説は蛇足であるかもしれないが、一応想起してみると、彼はギリシャのアテネが繁栄したクラシックと呼ばれる時代に出現した哲学者だ。その頃アテネは植民地を海外に持ち、そのため、方々からこの都市に集まった賢人たちが、市民に知識を与えようと町の辻々に立って演説をしていた。彼らのことをソフィストというらしいが、要するに知識人ということで、なんでも知っている。なんでも教えようと、町を通りかかる人たちに講義をしていた。そこへソクラテスは行って、ソフィストたちに意地の悪い揚げ足取りのような質問をした。はじめのうちはソフィストはそれはこういうことだよと教える。それについてソクラテスはまた質問をする。どんどん質問を続けていくと最後にソフィストは答えられなくなる。その時にソクラテスはソフィストに向かって、「そうなんだ、我々人間は何も知らないんだ。大事なことは、色々な知識を増やしていくことじゃない、自分自身を知ることだ。君は、自分自身を知らないだろう」と諭した。このようにして無知の知、自分が何も知らないことを自覚すべきだとソクラテスは教えた。

蓮如の「知れるところを問う」というのは、結局何も知らない自分に気づく自覚。ソクラテスと蓮如はこの点で通ずるものがある。何も知らない自分の自覚は、また何の力も無い自力の諦観であり、従ってそれは広大無辺のアミダ佛の他力にすがることを教える浄土真宗の競技でもあるのだ。僕は読書習慣がついてからまだ2年あまりで読書コミュニティーサイトなどで他のユーザーと接してみると皆の知識の豊富さに驚くことが多い。ブログなどでも自分は無知であることは承知の上で駄文を垂れ流しているのだが、時々心が折れそうになることも。しかし知識人といえども何もかもわかっているわけでは無いことがわかると、自分のことを許せるのでは無いだろうか。

無宗教で、何も信じない?

無宗教で、何も信じない、というのは本当だろうか?案外、テレビとか、インターネットなどを信じ込んではいないだろうか。そういう人々は、知性を離れるのが怖い、という彼ら自身の弱さに気づいているだろうか?(中略)「何も信じない」というのは、観点を変えるなら、「何も信じない」ということを、実は信じているのではあるまいか?人間は、やはり何かを信じている、と私は思う。何一つ信じないで、人間は生きていられるものではない。

僕は無宗教だが祖父母の墓はありお寺の檀家でもあるので、正確には無宗教とはいえないのかも。墓参りも気が向かなきゃいかないし仏壇がわりになっている位牌を置いた棚にはお供え物もある。何を持って信仰とするのかがわからないので無宗教と名乗っているが、そうではないのかも。統合失調症にかかると何もかもが信じられなくなる瞬間が訪れる。自分の身の回りが全て敵になるので、味わったことのある人はある意味、精神的強者と言えるかもしれない。何か信じられるものがないかともがき苦しみ結果信じられるのは自分自身と気づくことになる。

知、情、意、の知の優位

人間には理性と感情と意識が備わっているーーとは古来の通説である。これを知、情、意、と言っている。理性(知)は真を求めて、偽を嫌い、感情(情)は美に惹かれて、醜を好まず、意志(意)は善を努めて、悪を退ける。それで真、善、美、ということが唱えられる。その反対は、従って、偽、悪、醜、である。

全てが真、善、美に包まれていれば、それほど素晴らし世界はないだろう。しかし現実はそうはいかない。例えば美に関しても、相対的に判断がされるので全てが美しいという結果には決してならないという現実がある。知、情、意、のなかの知(理性)に関心が集まり、他の2要素は等閑に付され勝ちになってきているように思われる。

現在はその知性(理性)偏重の世の中であることはすでに見てきた。一方、社会問題であろうと国際問題であろうと、また個人に関してであろうと全ては善悪の判定のよって律せられている。これは知性ではなく意志の対象であるのではなかろうか。意志を働かせるためには、道徳律が確立していなければならない。暫定道徳では全くどうしようもなく、国際的道義や道徳の規律には不明確な点が多く、それは我々の憲法も同様。僕たちの日常生活はこの不確定な上に立っているのであり心もとない限りである。

アミダ佛にしても、極楽浄土にしてもそれらの存在を証明できなければ一切信じぬという人は少なくない。しかし何もすがるものがなくなってしまうような状況になれば、それらを信じることもありかもしれないと思える書籍。哲学的アプローチを仏教と比較する書籍。

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