51Blog

興味のあることや本の感想などを綴っていく雑記Blogです。

「すべき!」を捨てる。 小池 龍之介

   

2018年9月より法名を空朴と改め、月読寺住職と執筆等のすべての仕事を辞し、各地を放浪する路上生活の瞑想修行に入った著者。彼がこの「解脱の修業」へと旅立つ前に、瞑想をしながらインド北部・ブッダゆかりの地をめぐり、ブッダの教えの核心、涅槃、空、そして瞑想や宗教の目指すところに迫る。

瞑想紀行のっけからハプニング

無愛想なインド人入国審査官からチェックを受けてから、デリー市内のホテルに向かう前に、空港内の両替所へ。ここでインドルピーを手に入れようとするも、どの両替所にもルピーがなく、編集のかたは少々、焦っている面持ちです。交換所にルピーがまったく一ルピーもない状態だとのことで、編集のかたが、「水すらも買えない‥‥」と呟いています。空港の雑踏の中、インド人の現地コーディネーターさんと合流し、事情を相談すると、「イマハ、ショウガナイデース」とのこと。何でも、ちょうど直前に、インドでは突如として高額紙幣の五〇〇ルピー札と一〇〇〇ルピー札が廃止され、インド全土で通貨不足が生じているのだそうです。

インドに降り立ってすぐにハプニングに巻き込まれた著者。ルピー不足の背景には、脱税のため銀行に預金せず、高額紙幣をこっそり自宅に溜め込んで、所得隠しをしようとする行為が横行していて、それを解消するための電撃作戦が原因だと言う。電撃作戦とは高額紙幣の廃止!脱税が横行しているからと言って、高額紙幣がいきなり廃止なんて‥‥。仕方なくコーディネーターさんに両替を頼みことなきを得たが、通常のレートと比べてかなり不利なレートでの両替となったそう。海外でトラブルに見舞われると焦るだろうなと思った。一ルピーもないのはあまりにも不安。足元を見られた感じだ。

神聖な川なんてない

川は川だし、山は山だし、よい川というのは存在しないし、悪い川というのも存在しないし、神聖な川というのも存在しないし、不浄な川というのも存在しないし、神聖な山というのも存在しないし、不浄な山というのも存在しない。そういったものは人間の観念であって、人間の脳みそが現実を構成して、そうして、イメージしている作り物、いわば幻、ないし夢のようなものなんんですね(いえ、エネルギーの流れが強い場所があるのは確かでして、そういう土地や山は存在します。ただ、そうしたことに執着するのは、望ましくないことなのです)。

でも水質が綺麗な川は良い川なのでは、とか連なる嶺が美しいのは良い山なのでは?と想う人がいるだろうが、それは人間が作り出した尺度でありその良し悪しを確定させるものではない。僕はエネルギーが強いと言われるパワースポット的なものも信じていないので、悪しからず。たまたま訪れた人に良い結果が出ただけで、そうした良い結果を得られるパワースポットなのだと言い張るのはナンセンス。サンプル数が多いために願いが叶う人も多いだけ。確率でいったら、大したことはなく、近所のコンビニだって人によってはパワースポット足りうるのだと僕は思う。

インドの喧騒

今日はヴァーラーナシーを出発して、六時間の車中の移動を経て、ガンジス川も渡り、ここ、ブッダガヤまでやってまいりました。途中、大渋滞に遭遇しまして、あまりの渋滞具合に反対車線に出ている車もたくさん見られ、私たちの乗っている車も反対車線に入って、しばらく逆走していました。こういった、ルールがあるようでいてないような感じというのが大変愉快に感じられました。ヴァーラーナシーでも、自転車と車とバイクと人力車とが、中央分離帯もないような所をてんでバラバラに行き交っていて、ルールがないように見えて、でも、お互い当意即妙のバランスで何となく事故が起こらないようになっているのが見事だなあという感じでありました。

以前テレビでインドの交通事情を乙し出しているシーンを見たことがある。けたたましく、クラクションが鳴り響き、交差点には四方向から車両が突入してきていて、それでも接触事故が起こらないのが不思議なぐらいだった。

瞑想をしにインドまで行く必要はあるか

五比丘の一人であるアッサジが病気になったときに、ブッダに来てほしいという使者を出しました。ブッダがアッサジの精舎までお見舞いに来てくれたのですが、そのときアッサジが感激して、ありがとうございます、よくぞ来てくださいました、ブッダを見ることで大変感激しましたとお礼を言いましたら、ブッダの言葉を補いつつおおまかにまとめれば、このように答えているのです。「おやめなさい、アッサジよ、このようなただの壊れていく体にすぎない私の身体を見て、それが一体何になるというのでしょう。私の体を見るというのではなくて、私の説いた法、ダルマを見るなら、それが本当に私を見るということになります。そして、私が説いている法とは、体は無常であって、変化していくものであって、壊れていくものであって、取るに足らないものであるということです。仮に病気になったとしても、その病気の苦しみというのは、この体を条件として起きているものであり、この体に内在している命を縁として生じているものであって、この体もこの命も尽きたときには、今、あなたが感じている苦しみというのはどれもなくなってしまい尽きていく一時的なものにすぎません。私の説いている法に従って苦しみを観察するならば、その苦しみへの執着から解き放たれて楽になるでしょう」

要するに教えを説く人より教えそのものが大事ということだ。

よく成功者が自分の成功体験を著書にしていることがあるが、サンプル数一の成功体験をそのまま鵜呑みにするのはどうかと思う。「すべき!」を捨てることで、それらの呪縛から解放されるので頭の片隅に常に置いて置きたい。瞑想紀行だが、インド旅行気分も味わえるちょっと変わった書籍。

 - Book , , , , , , ,