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2000年の「宗教×世界史」で 確執の根源に遡る37の大問題

      2018/06/04

◎宗教の歴史を逆読みすれば国際情勢の本質が見えてくる!
世界史は「争い・対立の歴史」ともいわれ、現実の国際情勢を見てみてもどこかしら戦争や紛争が起きている。争いごとの原因はさまざまであるが、地域紛争、国境紛争、民族紛争とさまざまな諸相を見せるも、その実、「宗教」に起因することがほとんどである。しかも根源をさかのぼると複雑で時代もかなりさかのぼる必要もある。宗教はイコール民族や国の区分にはならないが、教義の違いが、政治・経済・感情的な軋轢となって現れるのが現実である。では、なぜ対立し、争うのか?国際情勢を見るうえで宗教的な側面や背景を見るのが苦手な私たち日本人に欠けているのが、事象や争いを表層としてではなく、深層を見ることである。それには宗教的な背景を掘り下げることが有効である。本書では、「宗教」という因果関係を明確にするために、最新の事象(時事問題、現代史)を取り上げ、順を追って過去にさかのぼっていくというスタイルをとる。時代をさかのぼることで、隠れた真相や遠因にスポットを当てて、「原因」を深読みしていく。

金正日、朝鮮労働党総書記に就任ーー1997年

儒教と共産主義(社会主義はそれへの過程)はともに社会の安定を目指すが、方法論そのほかすべてが違っている。指導者に関して、儒教では天によって選ばれた人物がそれを担うが、その地位は代々その一族が継承していく。つまり儒教社会では「血縁」が重視されるのである。もちろん、指導者がその役割を果たさなくなったときは、天災地変などによって王朝が崩壊することが認められる。これを易姓革命という。一方の共産主義が実現された世界は、資本主義に基づいた経済や政治の矛盾を克服したうえに実現されているものであり、間違いのない理想の世界と考えられている。現実はともかく、それが実現した以上は誤りはあってはならないのである。

独裁であれほど強い権力を持って核開発を続ける金正恩もこの儒教的思想の血縁重視の考え方によって体制を維持しているのだと思うと納得できる。だから彼は金日成の仕草や喋り方などを真似て、若輩者である自分の権威を強めなくてはと必死だったのだろう。でもこれだけ国の財政がk一泊した状況で、核のカードだけで民衆を引っ張り続けるのはいささか無理があるように思う。良いタイミングで核開発の中止を条件に国際協力を得られるようシフトしていくほか無いように思うのだが。そんな中、日経電子版のメール配信で、北朝鮮ICBMと核実験の中止を発表という記事が配信されてきた。シリア情勢などを鑑みてギリギリの選択だったのだろう。今思えば、国際社会で譲歩を得るための核開発だったのかもしれない。しかし、北朝鮮は本当に核実験とICBMの開発をきっぱりやめるのだろうかと疑問が残る。

政治的自由を圧殺してできた、習近平の独裁体制ーー2018年

習近平は中国の指導者内ではリベラルと認識されているようだが、政治手腕などから、外国のジャーナリストからは独裁者と認識されている。実際、人権の抑圧、言論統制などは独裁者そのものである。天安門事件の解明などは望むべくもなく、アヘン戦争以来の屈辱の歴史のうっ憤を晴らすような対外政策は国民の支持を集める要因にもなっている。中国の言論抑圧を批判し、2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は、受賞後、より厳しい監視下に置かれた。またインターネットに対する監視も強化され、ディズニー漫画や日本のアニメにまで神経をとがらせているという。

インターネットで一部のワードが検索できなくなったり、SNSでキーワードを発信できなくなったりと、時代に逆行するかのような国策を取る中国。習近平氏は、現在2期目の任期が終了した後も、国家主席の座にとどまることが可能になる法改正に成功し「終身」国家主席というのが可能になった。独裁まっしぐらで領土問題などでも国際社会とも対立を深める中国はこれからど声向かうのだろう。願わくばこれが経済大国としての地位を確立する過程の出来事で、これからは国際社会と協調する国づくりの前段階であってほしい。侵略された歴史を持つ中国・韓国は儒教文化の衰退とともに「宗教」とも呼べるレベルの「反日」意識が根付いているが、若い世代や富裕層には比較的親日も多くいるような気がする。

イスラム教の成立と破壊の原理ーー7世紀頃

イスラム教は「偶像崇拝」を禁止している。これは成立当初から変わらない。イスラム教の創始者ムハンマド自身、メッカ似合った古代アラブが信仰していた神々(部族の守護神)を破壊している。ムハンマドが偶像を破壊したのは、それを崇拝することによってイスラム教が多神教になってしまうことを恐れたからだともいう。しかし、イスラム教の純粋さに偶像がいかにも似合わないものであることは直感的に理解できる。実際、イスラム教というのは、アラーへのひたむきな姿勢が求められるのであり、じつに単純・純粋な信仰であるということもできる。

最近日本でもいたるところで、イスラム教信者が祈りを捧げる場を設けるようになり、日本社会とも溶け込んできたように思える。

信仰の有る無しに関わらず、宗教は存在しているという事実。それぞれがどのような宗教理念のもと信仰をしていて、現代における様々なニュースにどのように影響しているのかがわかる書籍となっております。

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