精神科医は人の心を治療する側だから、心の闇を知り精神の歪みにも敏感であるはずだが実際にはどうなのか?臨床体験豊富で熟練の精神科医である著者が累計100名の医師の裏も表も丸裸にする。
苛立たせる人
一つの考え方として、患者の態度があまりにも失礼だったり迷惑行動を繰り返したり不快な言動に及んだとしても、それこそが精神症状であり、あるいは「生きづらさ」といったものであり、だからそのような問題点にアプローチこそするにせよ、医師が反発を覚えるのは間違いだ、というものがある。
なるほどいかにも正論であり、「医は仁術なり」とか「医師は聖職」といった発想につながる考え方であろう。ときおり、驚くばかりの包容力を示すドクターを見かけることがあって(大概そうした医師はなぜか早死してしまうが)、そのような 神々しい存在は何か安堵感を同業者にももたらす。わたしなど、自分の人間性の矮小さを指摘される気分になって腰が引けてしまうことすらある。
精神科に通うぐらいだから、やはり一般の健常者と比べ暴言を吐いたり暴れたりする人が多い。僕も閉鎖病棟に3ヶ月×2の入院経験があるのでさまざまな患者を見てきたが、見た目態度ともに普通の人がいる反面、共有スペースで暴言を吐いたり他の患者に絡んだりする人もいて看護師さんの手に余るようだと独房と呼ばれる保護室に入れられていた。僕はそれとは違う理由で保護室に入った事があるがその無機質で閉ざされたスペースは普通の人が入っても長時間の閉塞感から発狂しそうになるような場所だった。
治療は医師と患者の共同作業
本来、患者と精神科医とは手を取り合い、いわば共同作業によって心の問題を乗り越える筈なのであった。両者の目的が一致し、ましてや事態が切実であるならば、相性がどうしたといった類の話はもはや枝葉末節のことであろう。にもかかわらず、相性がどうしたとか双方の気持ちのすれ違いといったことばかりをわたしは語っている。どこかおかしくはないだろうか。
ひとつには、患者と精神科医その両者において、病状や事態に対する認識に温度差が生じることが多いことに注意したい。幻覚や妄想が出現する精神疾患では、往々にして患者は自分に異常があるとは考えない。おかしいのは周囲であり、おしなべて自分は被害者であると認識する。つまり病識(自分を病気であると自覚することを指す医学用語)がないということである。
病識がなければ、治療には非協力的であろう。自分を病人とは考えないのだから。そうなれば精神科医は患者にとって不快で押し付けがましい存在でしかない。ウマが合うどころの騒ぎではなくなる。たとえうつ病であっても、患者本人は自分が「うつ」であることを認めたがらないことが珍しくない。病気に逃避するのは卑怯であるなどと考えたり、自助努力が足りないだけのことであり医療とは異なった文脈の問題であるなどと本人が考えてしまいがちだからである。
いっぽう神経症では、むしろ患者自身が病気であることをアピールしたがることがある(それをはっきりと自覚していれば詐病である)。医療者や周囲から見れば、少なくとも緊急性を要したり切迫した事態ではないにもかかわらず、本人は天下の一大事とばかりに固執する。
精神科に通う僕は通院診療時に自分の症状をつぶさに語ることで少し楽になる。カウンセリングによって少し救われる気分になる。精神科医にとっては僕のような症例は数多く見てきているものなので、冷静に診断してくれる。僕は身の回りで起こることが病気の症状であると再認識する機会を得て少し落ち着くわけだ。段々と自分がどんなことに敏感になるのかがわかってくると、自分自身発作時には、薬を飲んだのでじきに良くなると言い聞かせて発作が収まるのを待つ事ができる。
精神科の患者ではなくて医師にスポットライトを当てた面白い書籍。日々訪れる、さまざまな症状の患者にどう向き合っているのかがわかる画期的な書籍となっています。
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