教養、あるいはビジョンを共有するための武器としての世界史を知っていることは重要。しかし、いざ世界史を学ぼうとすると莫大な量の歴史知識と向き合わなくてはならず、途方にくれる。そんなアレルギーのある人のための書籍。
資本主義は「短期的願望」を増幅する
この「短期的願望は、それをたくさん集めれば長期的願望に一致してくる」という考え方は、実は資本主義を正当化するための論理としても、歴史的に重要な役割を果たしてきた。というより、米国の資本主義が思想面において、世界の文明に与えた最大の影響とは「短期的願望の肯定」ということだったのではあるまいか。そしてそれを側面から支えたのが、いわゆるアダム・スミスが『国富論』(一七七六年) のなかで提唱した「神のみえざる手」──すなわち「需要と供給が均衡するよう市場が自動的に動くことで、社会には最適な状態が達成される」という理屈だったのである。
もともと十八世紀以前の伝統的な社会では、西欧にせよ日本にせよ商業に対する警戒心が強く、「金のためなら何でもする」という職業に対して一定のハンディキャップを設けてきた。しかし、先ほどの長期・短期の観点からよく眺めると、その設け方にはちゃんとした一定のルールがあったことがわかる。つまり、そこでは短期的願望の上に成り立っている職業やビジネスに社会的不名誉というハンディキャップをつけることで、長期的願望に従事する者を相対的に社会の上方に置く、というのが大きく眺めたときのルールだったのであり、それによって前者の強すぎる力を抑え込もうとしていたのである。
日本のいわゆる「士農工商」もそうで、洋の東西を問わずそうした社会的名誉の力を利用することで、社会全体が何とか前者と後者のバランスをとっていた。実際に、宗教の力に頼るという道を除外して考えた場合には、人間社会は結局そういう手段に頼る以外になかったのである。
ところが、それは現代のリベラル的な観点からみると、職業に 貴賤 の別を設けているというマイナス面にも繫がってくる。伝統社会のそうした制度を眺めると、たしかにそのなかには無論、たんなる偏見に基づくものも混ざっていたが、もし一般法則として前者の力が後者よりも強すぎるというならば、やはり全体としてどうしても何らかのハンディキャップの体系を設けて、全体のバランスをとることが不可欠とならざるを得ない。
しかし資本主義の理屈はその社会的通念に異議を唱えた。つまり、たとえ外見がどうであれ、その職業に対して人々から金銭が支払われ、ビジネスとして成立しているということは、社会のなかに需要が存在しているということである。そして「神の手」の論理によれば、社会というものは、そのなかに生まれる全ての需要と供給が、「神の手」によってバランスをとることで成立している以上、どのような職業も社会の一部を担っているという点では平等であり、それら全てが同等の敬意をもって扱われるべきだ、との主張を行うことで、結果的に人間の全ての欲望を肯定したのである。
現在でもこうした論理は、いかがわしいビジネスを正当化する際に実際によく使われており、どう考えても社会的に悪影響のありそうなビジネスの関係者にインタビューしたとき、「だって金が得られるということは社会的な需要があるということですよ」と答えられて記者が返答に詰まる、などということもよくみられている。
しかし、ここで読者はお気づきであろう。つまり、この論理のなかにはやはり「長期的・短期的」を区別するという概念がないのである。逆に言えば、もし「短期的願望をたくさん集めれば長期的願望と一致する」という前提が成り立たないとなると、それら全てが瓦解しかねないことになるのである。
確かにいつの時代も士農工商の商に値する職業が覇権を握りがち。ビジネスで成功することが権力を握る近道であるのは今も昔も変わらない。そんなこともあってかいかがわしいビジネスが我が物顔で「だって金が得られるということは社会的な需要があるということですよ」なんて嘯いたりするのだ。全く厄介である。
国難が生じると結束する理数系武士団
こうしてみると、理数系武士団の存在がいかに大きな鍵であるかがよくわかるが、そうなるとこの集団がどういう性質をもっているかが大事な話になるので、それについてあらためて少し詳しくみてみよう。
まず基本的なところから復習しておくと、理数系武士団はもともと人数も非常に少なく、普段は社会の各所にばらばらに散らばっていて、たんなるモノづくりの技術者として陸側の文系集団に使われる格好で、それなりの居場所を得ている。しかし何らかの国難が訪れると、自分たちの必要性を感じ取って結束を始めるのである。ただ、その際には人数も少なく国の組織にも頼れないので、自発的に分業体制をつくって、理数系武士団の大きなメカニズムのなかで、各自がどのポジションを担うべきかを考えて行動するのであり、そこには緩やかなヒエラルキーと曖昧な指揮系統しか存在しないにもかかわらず、巨視的には国を動かす大きな力として動き出す。
そのため第一章でも述べたように、大きく四つのタイプの集団に分かれて、それが互いに共同することで力を発揮するという大きな構図が生まれる。その四つのタイプをここでもあらためて記しておくと、①独創的な発想力をもつ思想家、②開明派官僚、③各地の自発的学習者、④日本特有の文系出身の「伝道者」(坂本龍馬などがその代表) である。
そして理数系武士団は、政府の力に頼ることなど最初からあまり考えず、どうせ文系=陸軍の連中には何を言ってもわからないし、理解する力もないだろうと決め込んで、説得はおろか、説明することさえ面倒がる傾向がある(実際に幕末維新のときにはそうだった)。
かといって、この集団はかつての左翼のように自国の政府を敵視するかと言えば、そうではない。むしろ自分たちを一種の独立国のように考えて、文系が支配する内陸部の日本を別の国とみなし、それにどう接するかという態度で臨む傾向がある。つまり、日本の文系社会や政府は一種、十分な陸軍力を有するもっとも有力な同盟国の候補なのであり、もし文系側が十分に話ができる存在になれるなら、喜んで「外交関係」を樹立したいというスタンスなのである。
また現代の問題としてみると、おそらくこの集団は政府だけでなくマスコミの力に頼ることにも熱心ではなく、とくに大衆メディアに関してはその力に依存することを嫌がり、大衆メディアの側もそんな集団が重要なものとして存在していること自体を探知できないだろう。
理数系というと男性が多いイメージだが、最近は女性の理数系出身者も少しずつ増えているような気もする。エンジニアを目指す女性がいたり多種多様な世の中が訪れつつある。
世界史の構造を理解することで現代の見えない皇帝と日本の武器を論じる書籍。
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