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わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

読書好きが陥る読みたい本はいくらでもあるのに、読む時間を確保できないというジレンマを取り上げた書籍。運命の一冊に出会うまでのプロセスを様々な方法論で解決。本の味わい方を名著とともに伝えます。

書店は「人を探す場」である

運命の一冊となるスゴ本は、間違いなくそこにあるが、その本そのものをピンポイントで探すのは難しい。 しかし、その百万冊は間違いなくだれかに読まれている。だから、百万冊を探す前に、それを読んだ「人」を探すのが先決だ。本ではなく人を探すのだから、探す先はもっと多様になる。 たとえば、書店は「本を探す場所」だという発想を変えてみよう。書店で「人」を探すなら、もちろん店員さんになる。そして、自分が気になる「人」かどうかは、店員さんが書いたPOPを参考にするのだ。 どういうジャンルを、どんな言葉で紹介しているか? 短い惹句に現れる店員さんの趣味と自分の好みの距離を測るのだ。すると、気になる本を読んでいる「人」が見えてくる。店にもよるが、POPにペンネームやイニシャルがあるので、お気に入りの本を推す店員さんを探そう。 あるいは、Amazonなどのネットショップを、「人」を探す場所だと考えてみる。そして、自分のお気に入りをいくつか検索してみよう。すると、その本を好意的に紹介するレビューアーが見つかるだろう。 なかでも、自分のお気に入りのすべての作品に対し、高い評価を付けているレビューアーが見つかるかもしれない。そのレビューアーこそ、探すべき「人」になる。 同様に、はてなブックマークやブクログ、読書メーター、シミルボンなどのSNSを「人」を探す場にすることもできる。検索欄にお気に入りの作品名を入れるのだ。すると、その作品に言及している記事や読書メモ、コメントが出てくるだろう。その記事から、書いた人を探すんだ。Amazonレビューアーと同じように複数の作品で検索して、自分の推しについて最も多くヒットしたコメント主こそが、探すべき「人」になる。

僕は新刊以外の本を選別する時(ほとんどがKindleUnlimited読み放題書籍だが)題名が惹かれるかどうかで判断する。なのでスゴ本に出会う確率は自ずと低くなってしまっている。ベストセラーや他の人がどのような本をよしとしているのかを考えて本を選ぶのであれば、本探しのメンターとなるような人物を探し当てることもスゴ本に会う確率を上げてくれる。例えば自分が読んでこれはと思う書籍のハッシュタグをTwitterで検索してツイートからそのような人を見つけてみるのもいいだろう。そうして見つけた自分と趣味が合いそうなアカウントの過去のツイートを遡って紹介されている本をAmazonや書店、図書館で探してみると自分好みのスゴ本に出会えるかも。

単なる「よかった」は何も言っていないに等しい

読んでため込んで「好き」を蒸留するのではなく、読んで感じた「好き」を発散させるのだ。その作品のどこが好きになったのか、どのように好きなのか、なぜ自分がそれを「好き」だと感じたのかを掘り下げる。 それを書こうとすると、たんに「よかった」だけでなくなる。なぜ「よかった」のか、ほかならぬ自分自身が「いい」と感じたのはどこかを、否が応でも考えざるをえなくなる。一般論じゃないんだ、自分にとっての「いい」なのだ。究極的には、「わたしとは何か」を、その本で語ることになるので、すごく難しい。 これを考え始めると、作品の要約なんてしなくなる。一般的な書評だと、「要約+評価」の構造になるが、そんなことは念頭におかずに書くようになる。要約はAmazonや出版社のサイトを見ればいいし、評価のために書いているわけじゃない。そういう作業は読み屋がやればいい(そのうちAIが取って代わりそうだが)。 そして、「よかった」には必ず変化が伴う。単なる「よかった」は、何も言ってないに等しい。だから、変化を探す。 「ああおもしろかった」が感動なら、動いた心で何かが変わったはずだ。凝り固まっていた感情が一気に押し流されたのなら、それは喜怒哀楽のどんな感情なのか、名前が付けられないのなら、自分の人生を振り返って、似たような感情はなかったのかを探す。

一般的な書評の構造を踏襲してものを書くことは鉄板だが、僕はそのような書き方はしない。要約+評価なんて僕ごときがするなんておこがましい。

「あとで読む」は、あとで読まない

ネットの評判やPOP、帯の惹句にひと目ぼれして、ほとんど運命的な出会いを感じて、レジまで直行する。ネットならワンクリックだ。ほくほく顔でお持ち帰りして(ネットならデリバリーされて)、すぐさま「いただきます」するならいい。だが問題は、「あとで読む」である。 わたしの経験から言わせてもらうと、「あとで読む」は、あとで読まない。もう一度言う、「あとで読む」は、あとで読まない。 「お金を出して買ったのだから、読まなきゃ」と思いつつ、本棚の肥やしになり、机と床で山脈を成し、階段と廊下を占有する。これを見えないところに片づけてしまうと、絶対に読まないことが確定するので、意地でも目につくところへ置いておく。移動に不具合をきたし、家人に怒られ、自嘲気味に、「積読も読書のうち(毎日背表紙読んでるから)」とつぶやく。 そして、そうなっても読まない。なぜか? 本屋や画面で綺麗にディスプレイされた「商品」をお持ち帰りして、いざ部屋に連れ込んでみたら、「あれ?」と思うことがないだろうか? あれはあくまで「商品」なのだから、本来の価値に加えて、より購買意欲をそそるように演出されている。いわば、「盛って」あるのだ。きらびやかにデコレートされた場所を移し、POPや帯やパッケージの装飾を外し、あなたの部屋の光に当ててごらんなさい。違和感が生じることは避けようがない。

僕は金銭的な事情で積読本はゼロ。読みたい本を積んでられるのはある意味羨ましい。僕は書籍以外にも様々なサブスクリプションにお金を払っているので書籍にかけられるお小遣いは限られているので。本屋のPOPや帯の文言で煽って購入させる風潮はあまり好きじゃないが、不況が続く出版業界で売れるためには仕方がないことなのかもしれませね。

読書家の悲願、スゴ本に囲まれて生活すること。この本を読んで少しでも、スゴ本に出会う確率が上がれば良いですよね。

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