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いじめ・自殺 この30年で何が変わり、何が変わらないのか|宮川 俊彦

いじめは社会の縮図。大人になっても形を変えて脈々と受け継がれているように思う。教師や親を糾弾すれば済む問題でもないし、根深いその構造はSNSの台頭でさらに複雑になりつつある。いじめ問題を考える書籍。

いじめられる子といじめるこの違い

いじめる方にはむしろ快活で健康的な本来社会的な率先垂範や指導的立場をとるような体質の子が多く、いじめられる側に今日的というべきだろうか、こだわりがあったり、いわゆる広い意味の個性を持ち、独特の文化性を持っているような子が多かった。 いや、さらに言うならば、一般的な環境の中においては孤立したり、圧迫を被るであろうと思われるような傾向を示す子が多かった。これだけをもってすれば、「いじめられる側に問題がある」というよくある安易な認識を与えてしまいがちだから、発表には慎重を要さなければならない。 だが、私も慎重を要したつもりで語っても、一般的にはいじめられる方にだって問題があるのだ、いじめられる子がいるからうちの子がいじめてしまうのだというような、いけしゃあしゃあとした理屈に加担するような動きも生じたことは苦い思いとしてある。 いじめが良いか悪いかという善悪規範や倫理論で語るのではなく、情実でもないということを前提としているのだから、悪いものは悪い、ダメなものはダメという水準で物事を考えるほど安直なわけではない。むしろ、いじめなくてはならないという方向にしか向かっていかない子たちの問題として捉えるべきである。 あるいは、健全なベクトルが屈折したり圧迫されたりすることによって強い者や現状の打開ではなく、異質な者や弱い者の排除に向かっていこうとする、そのベクトルのあり方にこそ私は問題を見出す。つまり、いじめる子をいじめなくてもいいような方向に転換させていくことと、いじめによって得られるようなある種の快感やそうしなければならない自己のあり方を別なものに転換させていく—それがあれば、意外と本来のベクトル性を持っている子たちであるだけに、その状況からの打開はやりやすいように思えている。 これは、昔からある不良やチンピラ予備軍や乱暴者に多いように、社会的な能力の発揚の仕方を模索したり、あちこちぶつかったりという系譜の上に位置づけられるように思えた。

いじめる側といじめられる側何が違うか?特に一対一の関係でない場合それは何がきっかけで立場が逆転するかわからない。僕の小学校でガキ大将的な存在でいじめの張本人だった人物二人が、中学校に進学してすぐにそういった人間ばかりのクラスに入れられ他の小学校の番長にしめられて中学卒業までの3年間日陰者としての生活を仕入れれたなんてことも。リーダーとしての資質を見ればその他校の番長的な生徒の方が人心掌握術にたけていたのだろう。

いじめる子を犯罪者に仕立てて終わりにしてはならない

いじめている子たちをいじめる子のままにさせておくのは、その子以外のすべてに問題がある。まして、相手は子どもである。いじめている子を、一般人のように大人も子どもも非難して、その子をさらに犯罪者のように仕立てていってしまうのも、この社会のあり方そのものである。 少年犯罪も、むろん罰を強化するとかは必要なことではあるけれども、それで済むのではなく、それに付随する社会の受容力の要素を語らなければ、これは片肺的になる。 そこを、検察官僚の財団の役員になりながら内側から見てきた。やはり欠落は多い。 学校の中からいじめている子たちをピックアップし、生活指導を強化し、いじめをなくさせる。そのための厳罰として、たとえば登校停止にしてしまうという手法も当然あってよい。そんなことは論を待たないことであり、当然考えられてよい処方としてある。 しかし、そこに付帯する要素があることを忘れてはならない。いじめなくてもよいような、いじめたいという衝動を別の方向に転化するような方途や、その指導やその展望をその子の中に見出しうるような学習や指導が付随しなければならない。 罰は罰としてのみ与えれば、人はおとなしく従順になってルールに従うだろうという考え方は実に下世話であり、程度の低い人間の考えることである。このようなことを教育先進国であるわが国が微塵にも語ってはならない。また語らせてもならない。 また、そのときにいじめてはいけませんよというような指導をするだけなら、それもさしたる効用はもたらさない。多くは分かってやっているからである。 むしろ、そういう行動ができ、脅威の発言や相手を圧迫したり威圧したりするような行動様式を持つようなタイプの子であれば、よけいにそこまでの作用ができることを是とし、それをプラスにできるような方向に導くことが順当と言える。 行動を提示することだ。汗をかき、満身で何事かを為すような、それが多くの人々から称賛を得られるようなことに向けていくべきだ。草刈り十字軍でもいいし、震災の行動援助でもいい。暴走族が描いた落書きを消すことであってもいい。その子たちの得意な分野もあれば、やりたいと思うこともあるだろう。それに向けさせることだ。 登校停止をして家に置いておくのではなく、その間にそうしたことをさせることが重要なのだ。それは、ボランティアだとかいうことでもなく、ペナルティであったとしても、そういう社会的活動に赴かせることの意味が重要なのだ。 乱暴なことを語っているようだが、社会を建設していこうとすることは、実はそういうことなのだと思う。

いじめを犯罪と考えて仕舞えば良いと思ったことは僕にもあるがそうなれば解決するかといえば、意外とそうでもなかったりする。大人の社会でも犯罪者は闇に潜るのと一緒で表に出てくるのは小者ばかり。指示しているブレーンを叩かなければ意味がない。

SNSの普及で進化するいじめの構造。この30年で様相も随分変わったように思う。少なくとも僕が経験したような体験と今のいじめはかけ離れている。いじめを抑制するヒーロー的なリーダーシップを取れる人間を育成すれば解決するのだが。

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