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多くの哲学者や科学者を悩ませた「意識」という謎に迫る!

      2018/01/05

物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎない脳から、なぜ意識は生まれるのか―。多くの哲学者や科学者を悩ませた「意識」という謎。本書は、この不可思議な領域へ、クオリアやニューロンなどの知見を手がかりに迫る。さらには実験成果などを踏まえ、人工意識の可能性に切り込む。現代科学のホットトピックであり続ける意識研究の最前線から、気鋭の脳神経科学者が、人間と機械の関係が変わる未来を描きだす。

クオリアとクオリア問題

クオリアと言われて、一度でもそれを耳にしたことのある読者は、身構えてしまうかもしれない。この言葉について、ネットなどには「感覚質」などといった、わかったようなわからないような説明が立ち並ぶ。しかし、クオリア自体の意味はそこまで複雑なものではない。視覚で言えば、単に「見える」ということに他ならない。顔の前にあるものは見えるが、頭の後ろは見えない。前には視覚クオリアが存在し、後ろには存在しない。ただそれだけのことだ。難しいのは「クオリア問題」のほうだ。なぜ脳をもつものに、そして脳をもつものだけに、クオリア=感覚意識体験は生起するのだろうか。最新のデジタルカメラは、レンズをとおして景色を捉え、その中から顔を探し出し、そこにピントを合わせられる。しかしながら、景色そのもの、顔そのものを「見て」はいない。いわば、デジタルカメラは視覚クオリアをもたない。

デジカメが行うのは画像を処理し、それを記録すること。世界が見えていることとは違う点はそこにある。しかし脳の仕組みを知り、これまでの意識研究の成果を知っていれば、我々の脳も所詮電気回路に過ぎず、デジタルカメラとの間に決定的な差はないという驚愕の事実がわかる。

脳はシナプスの調整作用によって学習する

脳が持つニューロンの総数は、赤ん坊の頃から基本的に変化しない。その一方で、幼少時はもちろん、大人になってからも学習し続けることができる。ここでの学習とは、学校のお勉強の他にも、人の顔を覚えたり、新しい道順を覚えたり、一輪車に乗れるようになったりと、広い意味での学習を意味する。脳のニューロン数が変わらなくても学習が可能だということは、新たな知識、記憶、そして運動能力などが、新たなニューロンに割り当てられるわけではないことを示唆する。では、いったい何が変化することによって、脳の学習は成立するのだろうか。

この学習問題に対してカハールは見事な予想を立てている。ニューロン間の隙間を信号が伝わる時(のちに神経伝達物質によるものと判明)、その伝達効率が変化することによって脳は学習するというもの。この予想から遅れること50年、シナプス応答(=伝達効率)の変化則を提案したのが、カナダの心理学者ドナルド・ヘブ。シナプス応答とは電気スパイク一つにあたり生じる電位変化を指す。ヘブの提案した変化則とは、ニューロンへの入力と自らの出力に依存して、シナプス応答の大きさが変化するというもの。提案者の名にちなんで「ヘブ則」と呼ばれるものだ。

第一次視野をめぐる仁義なき戦い

第一次視野が意識を担うかどうかで、意識と脳のあり方は大きく変わってくる。意識を担うと結論づけられれば、大脳皮質の全域にまたがって意識が存在している可能性が高まる。一方、担わないとの結論が出れば、無意識の前線は第二次視覚野、第三次視覚野へと前進し、意識は脳の片隅へと追いやられかねない。

第一次視覚野は長年にわたり意識の科学の主戦場であり続けた。第一次視覚野が前頭前野への直接の神経配線を持たないことや意識にのぼることの無い情報が多数存在することなどからである。

無意識の意思決定の意識の後づけ解釈

あなたには、意識のもとの自由意志がないと言われても、なかなか納得できないだろう。自身の意識がものごとを決めている、との揺るがし難い感覚が、我々にはあるからだ。ところが、その感覚自体が錯覚であることを示唆する興味深い心理実験がある。(中略)はじめに、被験者に二枚の顔写真を見せる。そして数秒のうちに、好みの顔を選択し、それを指で差してもらう。その後、被験者が指差した顔写真を渡し、なぜそちらを選んだのかを口頭で報告してもらう。これだけなら、何の変哲も無いアンケート調査のようだが、顔写真を被験者に手渡す際にあっと驚く仕掛けがある。数回に一回、二重底の写真カードの仕掛けを使って、選ばなかった方の写真を被験者に手渡してしまうのだ。ただ面白いことに、ほとんどの場合、被験者はそのすり替えに気づかない。そればかりか選ばれなかった方の顔写真を相手に、選んだ理由を滔々と語り出してしまう。

顔と顎の形が好みだとか2人がバーにいたら彼女の方に声をかけるとか、ひっかけられたとは知らずに選ばなかった女性の方のいいところを語り出すのだ。これが無意識の意思決定の意識の後づけ解釈だ。

機械は果たして意識を持つことはできるだろうかという疑問。意識の宿る機械を目指すテストが難しいのは「哲学的ゾンビ」を仮定する必要があるから。外見や行動は人と全く見分けがつかない中、意識だけを持たない仮想的な存在。昨今では、ゾンビよりもAIを搭載したロボットの方がゾンビより現実的かもしれないが。意識に関して考える切り口は斬新で面白かった。

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