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『「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学』欲望と能力の均衡点を探る

現代社会で僕たちは自由に生きているようで、なかなかその実感を得ることができない。ヘーゲルの思考を手掛かりに、「欲望」に着目し「自由」を人間にとって最も根本的な価値と捉えなおし、僕たちが「生きたいように生きられる」ための条件を考える書籍。

「欲望」と「能力」の不均衡

かつてルソーは、不幸の本質は「欲望」と「能力」の不均衡にあるといった。「欲望」に「能力」が追いつかない、そこに不幸の、そしてまた不自由の本質がある。ルソーはそう鋭く洞察した。だとするならば、この不幸や不自由から逃れて曲がりなりにも「自由」を感じられるようになるためには、わたしたちは、能力を上げると言う選択肢のほかに、その不幸の源泉である欲望を下げる、あるいはこれを変えてしまうと言う選択肢を取ることもありうるのだ。

例えば能力を上げると言う選択肢では、「試合に勝ちたい」という欲望を抱えるスポーツ選手が、どうすればそのための〝能力を上げる〟ことができるか考える。しかしその限界に行き当たった時、それでもなお、例えば、選手ではなかったとしても何らかの形でスポーツにかかわる仕事ができないかと〝欲望を変える〟ことを考える。そして「欲望」と「能力」の不均衡を解消するもう一つの方法として、欲望を断ち切ることによる幸福は、古くから古今東西至る所で説かれて来た思想だ。〝不幸から抜け出す〟ための心的態度としては、やはり一定の有効性を持った思想であるといっていい。

欲望の複数性

美味しいものを食べたい、しかし太りたくない。人から愛されたい、しかし自分を曲げたくない。成功したい、しかし何の努力もしたくない。わがまま放題でいたい、しかしそのことで人から非難されたくない。わたしたちは、常にこの対立し合う「欲望の複数性」の中に投げ入れられている。したがってわたしたちは、あらゆる欲望を完全に満たし、何でもやりたい放題でい続けることなど、原理的に不可能なのである。

完全なやりたい放題を自由の本質と考え、それを目指すと、それはむしろ自由とはかけ離れたものとなってしまう。例えそのような瞬間が訪れようとも、それは全くの偶然的なことであるからだ。それゆえヘーゲルはいう。

「まさしく恣意のうちにこそ、彼は自由ではないということが存在するのである」(ヘーゲル『法の哲学』§一五追加)

わたしたちが「自由」を感じる時、そこには必ず何らかの現実性がある。わたしたちは「自由」を、「ああ、今時分は自由だ」と現実的に感じるものなのだ。その現実性の本質こそ、わたしたちは深く洞察しなければならないのだ。

自由の実感

幸福とは何か?それは基本的には、わたしの「欲望」が叶うことである。そしてそれが〝人間的〟な「欲望」であればあるほど、その「欲望」が達成された時、その底には必ず「自由」の実感がある。愛されたいという欲望が叶う、認められたいという欲望が叶う、裕福になりたいという欲望が叶う……。これら〝人間的〟な欲望が叶った時の幸せには、必ず「自由」の実感が底にある。これまで私たちを規定してきた欲望の規定性から、「自由」になれたという実感がある。「自由」の実感なき「幸福」は、原理的にあり得ないのだ。

自由の実感を考えるとき、現代ではどうだろうか、法の下の平等があり、食べるものに不自由したりすることもあまりない。飽食で、ものに囲まれた世界で「何をしてもいい」自由な状態が与えられるほど、むしろ「何をすればいいのか分からない」という「自由である苦しみ」を感じてしまうこともある。格差に不平等さを感じることはあっても、ホロコーストのように明日我が身が危険な状態にあるといった危機的状況下ではない。自由である苦しみは贅沢な苦しみとも言えるだろう。

強すぎる承認欲望

もしも、あなたが栄光を望むなら、あなたはナポレオンをうらやむかもしれない。しかし、ナポレオンはカエサルをねたみ、カエサルはアレクサンダーをねたみ、アレクサンダーはたぶん、実在しなかったヘラクレスをねたんだことだろう。したがって、あなたは、成功によるだけでねたみから逃れることはできない。(バードランド・ラッセル『幸福論』九七頁)

社会的成功や栄光を勝ち取り、人からどれだけ「自由」で幸福な人生と思われようとも、そこに〝実存的条件〟がともなわないかぎり、決して自由を手にすることはできない。あまりに強すぎる承認欲望は、時に私たちの「自由」の実感を大きく損なってしまうことがある。そこで欲望を「自然で必要な欲望」(必要最低限の食料や水などへの欲望)「自然だが必要でない欲望」「自然でも必要でもない欲望」(社会的成功や権力などへの欲望)の三つに分ける。このうち「自然でも必要でもない欲望」は虚しい欲望であり追い求めてもキリがないものとして、心の平安のためこの欲望を断ち切ることを解いたのが古代ギリシャの哲学者エピクロスだ。

人生に意味をあたえる

キッチンが綺麗になる。仕事が片付く。感受性を交換し合う。そうした小さな働きかけとその成果が、わずかながらもわたしたちの「自由」の感度を高め、人生に〝意味〟を与えるようになるのだ。

そうやって得た、小さな喜びや意味が本当にわたしたちの「自由」に結びつくかは十分に内省する必要がある。SNSなどはそうした感受性を交換し合うのに適したツールであるが、同時に、恵まれたリソースを持つ人たちはそこで新たなネットワークを築き、ますます有利な環境・立場・地位を得ることができる一方、そうでない人々は時にそのネットワークをルサンチマン(弱者が権力者等に対し溜め込んでいる妬みや憎悪の感情)の掃き溜めとしてしまう側面も。

哲学の本なので難解な言い回しがとっつき辛かったりするが、自由とは何か「自由の相互承認」の原理のもとに全ての人が「自由」を実質化するためのヒントとなりうる書籍ではないだろうか。

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