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暇と退屈の倫理学|國分功一郎|暇と退屈を哲学により解釈する異色の書籍

暇と退屈を哲学により解釈する異色の書籍。著者の導きによりスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、暇と退屈の大海原でも思索する喜びを味わえるだろう。

尊敬される〝ひまじん〟

上の問題を、暇の価値という観点から考察してみよう。

私たちは「ひまじん」という言葉をいい意味では使わない。それはたいてい人をバカにするために用いられる。また、「暇だ」という一言が自慢げに語られるとは思えない。要するに暇というのは評判が悪い。

ところがこれと逆のことを述べた本がある。経済学者ソースティン・ヴェブレン[1857-1929]の『有閑階級の理論』(一八九九年)である。

有閑階級 とは、相当な財産をもっているためにあくせくと働く必要がなく、暇を人づき合いや遊びに費やしている階級のことを言う。ヴェブレンはこの階級に注目しながら、人類史の全体を描き出そうとした。

この本を読み始めると読者は最初とても驚く。いま述べた通り、そこでは、暇であることにはかつて高い価値が認められていたと書かれているからである。つまり、有閑階級は周囲から尊敬される高い地位にある階級だったと書かれているのである。

しかし有閑階級とは、いわば〝ひまじん〟の階級である。なぜこのようなことになるのだろうか?

このような疑問が出てくる原因は、暇と退屈の混同にある。既に述べたように、私たちはしばしば両者を混同する。「暇だ」という言葉はほとんどの場合、「退屈だ」という意味である。だから暇であることが悪いことに思えるのである。「ひまじん」という言葉に否定的な価値が与えられるのもそのためだ。

しかし、よく考えてみよう。暇があるとはどういうことだろうか? 言うまでもなく、暇があるとは余裕があるということだ。余裕があるとは裕福であるということだ。すなわち、あくせく働いたりしなくても生きていける、そのような経済的条件を手に入れているということだ。

逆に、暇のない人たちとはどういう人たちであろうか?暇のない人とは、自由にできる時間がない人、つまり、自らの時間の大半を労働に費やさねば生きていけない人のことだ。暇のない人とは、経済的な余裕のない人である。経済的に余裕がないのだから、社会的には下層階級に属する。いわゆる「貧乏暇なし」のことである。

有閑階級とは、社会の上層部に位置し、あくせく働いたりせずとも生きていける経済的条件を獲得している階級である。彼らは労働を免除されている。労働は下層階級が彼らの代わりに、彼らのために行うのである。それ故、ヴェブレンはこのように述べたのだ。ギリシャ哲学者の時代から現代にいたるまで、労働を免除されていること、そこから解放されていることこそが価値あるすばらしいことだったのだ、と。

こう考えてもよいだろう。有閑階級とは、いわば、暇であることを許された階級である、と。

暇であることを許された有閑階級。確かに暇というとなんだか怠惰なイメージだけれども、それが尊敬されていた時代もあった。今でも億り人とかFIREとか呼び方は変わったもののそのような生き方をする人は一定数いる。そんな人を尊敬するような文化が過去にはあった。

ルソーと疎外

疎外の概念自体は独自の哲学的伝統をもっている。その起源は神学にまでさかのぼれるが、近代的な疎外の概念の起源は一般にジャン=ジャック・ルソー[1712-1778]にあると言われている。

カギとなるのはルソーが提示した自然状態の概念である。自然状態とは一七世紀頃から盛んに論じられるようになった概念である。それを論じながら哲学者たちは、人間たちが自然の状態、つまり、政府や法などが何もない状態ではどのように生きるのかについて考えた。

この自然状態論にはいくつかのバージョンがある。ルソーのそれは大変有名なものの一つである。ルソーによれば自然状態において人間たちは善良に暮らしている。人間に不幸をもたらしたのは文明社会であり、文明社会こそが人間に疎外をもたらしたのだと、彼はそのように主張する。

たとえばルソーは次のように述べている。 この状態〔自然状態〕におかれた人間はきわめて 惨めな存在であると、これまで繰り返し指摘されてきた。〔…〕しかし、自由で、心が安らかで、身体の健康な人間がどのような意味で「惨め」なのか、どうか説明してほしいのだ。

私が尋ねたいのは、文明の生活と自然の生活のうちで、そこで生きる者にとって耐えがたいと感じられる生活はどちらだろうかということなのだ。私たちの周りを見渡してみよう。生活の苦しさを嘆く人ばかりではないだろうか。

ルソーによれば自然状態は平和である。文明人たちが「生活の苦しさ」を嘆いているのとは対照的に、自然人たちは心安らかに生きている。さて、なぜルソーは自然人の生活を、そのような、「惨めさ」からほど遠いものとして描くことができるのだろうか?

人々に不幸をもたらしたのは文明だという。確かに文明の発達と主にただ食べ物を探し生きるために借りをしていたような時代と違い現代はストレスが多い。ただひたすら生きるということが難しい世の中になっていてより複雑に。それにより分断が生まれ疎外感を味わうなんてことも。

暇と退屈を倫理学的に解釈した書籍。暇の歴史を紐解きながらその内容を現代と比べ違いを示す。そんな倫理学の書籍。

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