心にとっての時間の立ち位置とはどんなものか?未知の領域を探る書籍。誰も解明していないことを謎としてうまく描き出すため、それがどのような知識によって構成されているか知る必要がある。僕らの知識の地図に、未踏の地の「輪郭」を描き込んでいこう。
選べない選挙
さきほど記したような意味で何かを「本気で選ぶ」ことは、因果連関を選ぶことを含む。選択対象を取り巻く因果連関のどれかを自分の生活に侵入させること──、これを「本気さ」の最小限の条件と見なすなら、日常生活におけるほとんどの選択は、程度の差はあれ、「本気さ」を伴っている。そしてむしろ、顔写真の実験での選択のような、因果連関 抜き の選択のほうが例外的なものと言える。
ある対象を、それを取り巻く因果連関(自分自身の生活に関与する)とともに選んだとき、「なぜ、それを選んだのか」という質問に対する返答は、通常、まさにその因果連関への言及を含む。顔写真の実験において後付けの理由が作話された一因は、因果連関へのこうした言及が不可能だった点にあるに違いない。
このことは、「選ぶ」ことと「評価する」ことの違いについても考えさせてくれる。何かを選ぶことは、先述の因果連関を通して、何かを得ること(および失うこと)としばしば結びついているが、顔写真の実験においては、その意味では何も選んでいない。実験中に被験者は一方の顔写真を手渡されるが、実際には何も得ておらず、二枚の顔写真の魅力度を相対的に評価しただけである。この点について考慮するなら、「チョイス・ブラインドネス(選択盲)」と呼ばれてきたものは、本当は、「 評価 盲」なのかもしれない。少なくとも、それを、選択一般に関係したものと見なすことには無理がある。
さて、この原稿を書いている最中、衆議院の第四十八回選挙があったが、以上の考察との関係でひとこと。投票に際して私たちは、どの立候補者やどの政党に票を入れるかを検討する。ひとによっては何日もかけて、この検討を行なうだろう。このとき、たしかに私たちは投票対象を選んでいる。
他方で、 自分の 入れた一票と選挙後の社会のあり方に明確な因果連関がないことを、一人ひとりの投票者は知っている。もちろん、どの一票も他の多くの票と合わさることで選挙結果を決めてはいるのだが、残念ながら、自分のこの一票が選挙結果に影響することは普通はない(二〇一五年の熊本市議選のような、一票の差で結果が変わる状況はかなり例外的であり、ここでは考えないことにする)。
確かに自分の一票で選挙結果が変わることはほとんどない。大抵自分以外の多くの人の動向にかかっている。しかし、意思表示として一票投じることには意味がある。大量の票を取りまとめられる人々によって政治が変わるので、どこにも属さない無党派層としては自身の意思表示を投票ですることで第三の答えに辿り着くことも。
意識なんて、どうでもよい?
本節の最後に、余談として、哲学者デイヴィッド・J・チャーマーズのある奇妙な説に触れておこう。そして、特定の視点のもと、「意識なんて、どうでもよい」と考えてみることに、一定の価値があることについても。
チャーマーズは「情報の二側面説」という萌芽的なアイデアを示したが、その過激な一バージョンによると、 あらゆる 情報は意識を伴う(*6)。脳やコンピュータなどがもつ複雑な情報はもちろん、サーモスタットや月面の石などがもつ、さほど複雑でない情報も、それぞれの複雑さ・単純さに見合った意識を伴うというわけだ。ここで言う「意識」とは、心の主観的な現象(たとえば「痛み」の感じそのもの)をその要素とするものであり、公共的には観察することができない。
さて、パターンとは一種の情報であるから、情報が意識を伴うとの考えは、心をパターンと見なす考えと矛盾しない。ただし、チャーマーズのこの説の異様さは、どんなに単純な情報であっても意識を伴うという点にある。これが本当だとすると、電子のように基礎的な対象にも何らかの情報が含まれている以上、世界のあらゆる構成物質はそれぞれ意識をもつことになりそうだ。
(情報の二側面説においては情報こそが基礎的存在なので、より正確には、あらゆる物質が意識をもつというより、あらゆる情報は物質/意識双方の側面をもつ、ということになる。ただし、この説は先述の通り、情報の二側面説の一つのバージョンにすぎない。)
チャーマーズのこの説は一笑に付されることも多いが、私は次の二つの点で、そこには見るべきものがあると思う。第一に、この説では、意識なきものと意識あるものとの境界線が引かれていない。意識なきものを意識あるものに変える、魔法の杖の一振りのような条件に言及せず、シンプルで普遍的なかたちの意識の説明が目指されている。それゆえ、意識ある脳を半分に分け、さらにそれを半分に分け……、といった分割を続けたときも、あるいは、ヒトの脳から、より原始的な動物の脳へと順に目を移していったときも、ある段階で急に意識が有から無へと転化することはなく、もちろん、その転化に関する自然法則を探す必要もない。
第二に、こちらは私の解釈であり、チャーマーズ自身はきっと好まないはずだが、チャーマーズのこの説は次の価値観の変革を可能にする。「主観的な意識の存在こそが最重要の謎と見なされつつも、科学的にはそれを扱いがたい」という隔靴搔痒の現況に対し、むしろ、「意識は至るところに在る、平凡で基礎的な素材であり、重要なのは意識ではなく複雑な意識なのだ」と、探究の価値観を変えるような。このとき、たとえば、左脳と右脳の統合はいかに果たされるか──その統合によって意識はどれだけ複雑性を増すか──といった問いは、意識はなぜ在るのかという問いより重要なものとなり、むしろ、後者は真の問いではなくなる(唯物論のもとで、基礎的物質の在り方によって他の存在が説明されるとき、基礎的物質がなぜ在るのかはもはや問われないのと同様)。
情報の二側面、意識を伴う心の主観的現象などはモニタリングできない。価値観の変革を可能にするチャーマーズの説は基礎的物質がなぜあるのか問われないのと同じ。
心を病んでいると心にとっての時間は無限にあるようにも思えるが、実際は有限なのか無限なのか?深淵なその世界を覗いてみると心と時間の不思議に触れることができる。
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