子供の学ぶ権利を保障し、教師も専門家として成長する学校を構築するにはどうすれば良いのか?日本や海外でも最近普及してきている学びの共同体としての学校改革を詳しく解説。学校改革の第一人者による待望の入門書。
小グループの学びがもたらすもの
学びの共同体の学校改革においては、小学校低学年においては全体学習とペア学習による協同的学び、小学校三年以上、中学校、高校においては男女混合四人グループによる協同的学びを中心に授業を組織している。この授業と学びの様式は、先述したように、途上国や北朝鮮のような特殊な国を除けば、今日、グローバル・スタンダードとなっている。しかし、学びの共同体の学校改革が協同的学びを中心に授業を組織しているのは、それだけの理由によるものではない。
第一に、協同的学びは、学びの本質である。伝統的な学習心理学は子どもの学びを個人の活動として研究してきたが、どんな学びも個人で行われることはない。個人で行えるのは〈練習〉と〈記憶〉だけである。あらゆる学びは新しい世界との出会いと対話であり、対象・他者・自己との対話による意味と関係の編み直しであり、対話と協同によって実現している。学びは師と仲間を必要としており、その根本において協同的である。学問を意味する discipline は、中世においては、〈弟子の共同体〉を意味し、研究を意味する study は〈友情〉を含意していた。
第二に、一人残らず子どもの学びの権利を実現するためには、協同的学びによって子ども同士が学び合うより他に方法はない。四人以下の小グループの学び合いは、どの形態の授業よりも強制的に学びを促す機能がある。一斉授業であれば、聞いているそぶりをして学びを怠ることが可能である。しかし四人以下の小グループでは、どの子も学びに参加することを余儀なくされる。この学びの強制機能は、一人残らず子どもの学びを成立させる上で、きわめて重要である。
第三は、小グループの協同的学びが、学力の低い子どもの学力を回復する機能を発揮することである。低学力の子どもへの対応として、教師の指導の改善で克服しようとする教師が多いが、現実には、教師だけの努力で低学力問題が解決した事例は乏しい。教師は小学校の場合でも通常四〇人近く、中学校、高校では一人の教師が二〇〇人程度の生徒を教えている。一人ひとりの低学力に対応した指導を行えると考えるのは、幻想であろう。しかし、小グループの協同的学びに参加することによって学力の低い子どもが学力を回復した事例は、あまた挙げることができる。
第四は、協同的学びが、学力の高い子どもにも、より高い学力を保障することである。ただし、これには条件がある。協同的学びが、〈ジャンプの課題〉と呼んでいる高いレベルの課題への挑戦を含んでいなければならない。一般に、協同的学びは学力の低い子どもには有利だが、学力の高い子どもには不利であると考えられている。
僕らの小さかった頃は学習内容により小さなグループに班分けして学ぶことはあったけれど、あまり学力の高い子が低い子をサポートするという考え方はなかったように思う。なんとなくそれができる場合はあっても先生がそれを推進するようなことはなかった。なので学習の進捗はできる子中心になりがちで、学力の低い子のメリットといえば勉強をサボれるといった後ろ向きなものだった。その辺のリテラシーは今の子達の方が高いのかも。
相互不信を取り除くために
学びの共同体の学校改革において保護者との連帯を形成し、保護者とも学び合う関係を築くことは、必須条件である。さらに、地域の教育委員会との連携を築き、共に学校改革を推進することなしには、改革を持続させることは困難である。学校は、内側からしか改革できないが、外からの支援がなければ改革を持続させることはできない。
学校改革の最大の障害は、教師と保護者との相互不信にある。この相互不信の関係は、教育を「サービス」にしてしまった新自由主義の教育政策によって醸成された。教師を「サービス」の提供者、保護者を「サービス」の享受者とする新自由主義のイデオロギーと政策において、保護者が教師への不満と不信をつのらせるのは当然の帰結であり、その逆も当然の帰結であろう。教師と保護者の相互不信の構造において、もっとも被害を受けているのは子どもの学ぶ権利である。荒れた学校、学級崩壊が頻発する学校、不登校が多発する学校、学力低下に苦しむ学校においては、まちがいなく教師と保護者の相互不信が根底に横たわっている。保護者は子どもの教育への関心よりも学校と教師への不満にとらわれており、教師は子どもへの対応以上に、保護者への対応に苦慮している。最大の犠牲者は子どもである。
しかし、教育は「サービス」だろうか。否である。教育は次世代を担う子どもに対する社会の責任であり、大人の責任である。この責任を教師と保護者が共有しない限り、相互の信頼関係を築くことはできない。そして、教師と保護者が教育の責任を共有することなしには、一人残らず子どもの学ぶ権利を実現することは不可能である。
教育をサービスと捉えるとそれはただの塾や予備校になってしまう。受験に向けたサービス。しかし学校ではそのサービス的な要素を排除して子供の成長を促す、学習習慣を身につけさせるものであってほしい。勉強が嫌いな子にはそれに沿ったカリキュラムを与え良いところを伸ばす取り組みが必要だ。
学校改革の問題点を洗い出し、より良い教育は何かと考えさせられる書籍。僕は子供がいないので子供の教育に悩むことはないが世の中の親御さんは子供の教育に日々頭を悩ませているのだなと。
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