公園の遊具は次々と使用中止となりボール遊びまでも禁止に。体を使って遊ぶ機会が減り都市化でスマホやタブレットで遊ぶ子供たちを心配に思った著者が四人の識者と真摯に語り合う。子どもと本気で向き合ってきた経験から紡ぎ出される教育論。
ネットの過剰利用がもたらす「実体験の減少」
高橋 もう一つ、少子化と同様に違和感を抱いているのが、インターネットの過剰利用です。先ほどの情報処理の話にも通じるテーマですが、大前提として申し上げたいのが、私はネットの存在自体を否定したいわけではないということです。
ネットはある面では間違いなく我々の生活を豊かにしているし、今日もこうしてオンラインツールを利用して、養老先生とお話しできているわけですから。それでもなお、私はネットの弊害を見過ごすことはできません。
どんな弊害があるのか。大きく「無言化」「孤立化」「実体験の減少」の三点を指摘できます。なかでも、三つ目にあげた「実体験の減少」は、特に危惧すべき現象だと思いますね。
わかりやすい例がコミュニケーションです。ネットに関わっている時間が長くなると、人はどうしてもしゃべらなくなります。つまり「無言化」。また一人でいる時間が長くなります。つまり「孤立化」。そうして無意識のうちに仕事や日常から、「実体験としてのコミュニケーション」が抜け落ちていく。
それにもかかわらず「コミュニケーションがとれている」と錯覚してしまう。そこがネットの一番怖いところです。
いまや多くの方がSNSなどを介して、無数の人びととバーチャル空間でつながっています。そして、コミュニケーションがとれていると「錯覚」している。
しかし、オンライン上のコミュニケーションは対面とは異なり、五感のすべてを用いているわけではありません。バーチャル空間の映像の相手に使っているのは視覚と聴覚、あとはチャットなどの場面でキーを打つときに感じる指先の触覚といったところでしょうか。
実体験としてのコミュニケーションは、脳細胞が形成するネットワークに広く五感が働きかけるものですよね?一方のネット上のコミュニケーションは、特化した感覚が脳細胞そのものを直で刺激するようなものではないか。だとしたらバーチャル空間では、人間の閾値を超えるような強い刺激が脳細胞に伝わっていることになります。これは、生物学的にみても異常な状態で、うすら寒い心持ちすら覚えます。こうした状況を放置しておくと、私たちの五感がいつしか麻痺していく気がするんです。
実はテレビも、子どもへの影響を問題視された時期がありました。たとえばアメリカの小児科学会はかつて、論文で実データを示し、「子どもたちにテレビを二時間以上見せてはいけません」とする警告を発しました。
何が良くないのか。一つは「ディスプレースメント(置き換え)・セオリー」といって、テレビを見る時間が増えれば、ほかの大事なことをする時間が減るという指摘です。
インターネットはどうかというと、テレビ以上にディスプレースメントが起きていますよね。
もう一つは「テレビの内容が教育上よろしくない」という指摘です。ただ「お笑いはダメで、ニュースならいいの?」といった疑問が残ります。
ネットの場合、私は一部のネットゲームに、人間関係に悪い影響をおよぼす可能性があることを懸念しています。
オンライン上のコミュニケーションと実際の会話はやはり違うもの。僕はネットにどっぷり浸かった口なので実体験からもコミュニケーション不足による弊害を感じています。喋らなくなったのは間違いない。オンライン上での会話は実際のものとはちょっと違うのでやっぱり生の会話が必要かと思います。SNSではあんなに喋っていたのに実際にオフであったりすると会話に困るなんて経験を何度もしました。
子どもは木に登りながら落ち方も学ぶ
養老 以前、ブータンに行ったとき、中学生か高校生ぐらいの女の子が野原で本を読んでいました。明治時代を 彷彿 とさせるような、何とも言えない、とてもいい「学びの風景」でした。本を読むこと自体は、基本的に不健康なんですが、野原という自然のなかだと、逆に健康的な遊びのような印象を受けますね。
私が子どものころはまだ、本を読むのは不健康だという感覚が〝ちゃんと〟残っていたような気がします。親や周囲の大人たちから「本を読んでばかりいると、ろくなことにならないよ」といったことも言われましたし、やっぱり「子どもは外に出て、体を使って遊べ」ということだったのでしょう。
──自由学園の生徒さんたちは外で遊びますか?
高橋 ちょうど四階にある私の部屋から小学校のグラウンドがよく見えるんですが、休み時間や放課後など、子どもたちはいつもにぎやかに遊んでいます。コロナ禍にあっても活発に遊んでいて、こちらがヒヤヒヤするくらいでした。
木登りの様子もよく見えます。うまい具合に、年齢によって登れる木がさまざまあるので、それが格好の遊び道具になっています。
一年生の小さい子どもはまず、枝が緩やかに横に伸びている松の木にトライする。それが登れるようになると、次は数本の紅葉の木に挑戦する、というふうに、上級生を見ながらだんだん高い木に登れるようになることを楽しんでいます。子どもたちは登り方を身につけながら、安全な降り方、自分はどれくらいの高さからなら飛び降りることができるかといったことも体得しています。遊びではありますが真剣です。
危ないのは、子どもには登れない木の高い枝のところに、大人がひょいとのっけてあげることです。町の公園などで、よく見かけませんか? 私などは見ていてドキドキします。
なぜなら、それは行きすぎた手助けだからです。子どもから、自分に登れる木かどうかを判断する機会を奪うことになりかねないし、木に登るとはどういうことかを経験しないために落ちる危険も増すのです。
僕らの小さい頃はまだ自然の中で遊ぶ体験があった方かと思います。木に登ったりドブ川をジャンプで飛び越えるチャレンジをしたり。木から落ちたりドブ川を飛び越えられず落下したりする経験を経ながら自分を知ることができました。今の子達は、SNSやWeb上の人の体験を情報として知ることが容易で、実際に自分で経験していないことも自身のものとして語りがちになってはいないか?これは大人でも言えることでここ数年で僕を含めて多くの年代でこのような傾向が見られるように。
SNS世代の子供たちの環境を見て心配になった著者による人として身につけたい大事な3つの力を解説。
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