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自力で生きぬくための本物の「知」の鍛錬法とは?

   

「答えは必ずある」などと思ってはいけない。“勉強”で染みついた呪縛を解くことが、「知の体力」に目覚める第一歩になる。「質問からすべては始まる」「孤独になる時間を持て」「自分で自分を評価しない」「言葉にできないことの大切さとは」―。細胞生物学者にして日本を代表する歌人でもある著者が、これから学ぶ人、一生学び続けたい人たちにやさしく語りかける。自力で生きぬくための本物の「知」の鍛錬法。

勉強について考える時

勉強について考えようとするとき、それはより顕著であろう。勉強しなさいと言われる。なぜ勉強しなければならないのか。それは、いい成績をとるため、というのが最も端的な答えであろう。期末試験や模擬試験でいい点数をとるため、偏差値の高い大学をめざすため、入試に合格するため。ため、ため、ためと、目的の目白押しである。そういえば「しっかりした目標を立てて勉強をしなさい」などという言葉も、耳にタコができるくらい聞いた覚えがあるだろう。

勉強するための動機付けの一つとしていつもこの「〜のため」というフレーズがついてまわる。逆に、勉強しなければいい成績を取れないし、いい大学にも入れないと脅されているかのようだ。大学受験まではそういった動機付けでも良いのだろうが、大学に入ってしまうと、それは通じなくなる。今度はいい会社に入るためにでも勉強するのだろうが、それだけでは大学受験で燃え尽きた生徒には不十分だ。「〜のため」という以外のモチベーションを保つための何かを自分で気付けなくてはこれから先生きていけない。もしいい会社に入るために勉強したとしても、今度は会社に入った時に同様の燃え尽きが発生するからだ。5月病が多いのはそのせいもあるのではないだろうか。

学びの意味

読んで字のごとく、「学習」とは、学び、習うもの。「習う」は「くりかえして修め行うこと」「教えられて自分の身につけること」という意味である。学んで、その学んだことを身に付けることが、「学習」である。それに対して、「学問」とは何か。学習が、学んで修める、習うことであったのに対して、学問は、「学び、かつ問うこと」と私は解釈している。学び、それを受け容れるという一方的な「知」の流れではなく、入ってきた「知」をいったん堰き止めて、それが正しいか問い直す、どのような意味を、あるいは価値を持っているのか問い直す。

こうした「問う」という行為を付け足したところに「学問」の意味があるのだろう。当然「学習」とはその取り組む姿勢においても異なったものであり、対立するものでもあるのかもしれない。大学ではこの「学問」を意識して学んでいかないとならず、高校までの「学習」だけでは、うまく回らなくなるだろう。

それだけでなく、一歩社会に出てしまえば、あらゆる事例に正解がなく、仕事に対して80%の回答やなんかが求められ、100%正解でない仕事をこなしていかなくてはならない。そもそも答えがない場合だって往々にしてあるのだ。大学を出た場合日本国内では最高の教育を受けてきたはずの彼らが壁にぶつかるのはそうしたことが原因なのかもしれない。

<他者>の発見

読書をするということは、「こんなにも知らなかった自分」を発見すること、すなわち自分を客観的に眺めることである。<自己>の相対化であると言ってもいい。こんなことを考えている人がいたのかと思う。こんなひたすらな愛があったのか、こんな辛い別れがあるのかと、小説に涙ぐむ。それらは「読む」という行為の以前には、知らなかった世界ばかりである。それを知るということは、すなわち「それを知らなかった自分」を知るということである。一冊の書物を読めば、その分、自分を見る新しい視線が自分の中に生まれる。<自己>の相対化とはそういうことである。

この<自己>の相対化のために勉強するのである。読書にしても、勉強にしても知識を広げることはもとより、自分を客観的に眺めるための場所を確保するという意味合いの方が大きい。僕たちは、<自己>を様々な角度から見るための複数の視点を保つために勉強し、読書するのだと思う。

落ちこぼれという挫折体験も重要

私は大学においては落ちこぼれ、オーケーだと思っている。大学においては、みんなが落ちこぼれないようにレベルを設定して講義を行うのではなく、たとえ少数でもその分野にほんとうに興味を持てる学生を生み出し、かつ彼らがどんどん自分の裁量でどこまでも知識を得ることができるような体制こそ構築すべきだと考えるからである。

そもそも、均一な労働者を育成するために生まれたようなカリキュラムはこれからは社会で通用しないように思う。たとえばある教科で類稀なる成績を収めたなら他の教科はできなくても卒業できるような環境が重要になってくると思う。一つのことに打ち込んで世界のトップに立つアスリートのように。

学びとは何か「知」とは何かを著者の視点で解説。全ての学びたい人に向けた自分自身の鍛え方は「知」に対する認識を違った視点から発見することとなるだろう。誰も「知力」は貸してくれない世の中、自分で「知の体力」を身につけよう。

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