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名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉|河本 敏浩|新たな視点で教育問題に対する処方箋を提示

70年代の暴走族レベルの今の大学生!?入試問題や教育関連の統計データから、教育に関する処方箋を出す。小中学校のカリキュラムを変えれば学ぶ意欲は増進するのか?様々なデータから教育問題を斬る!!

学力は本当に低下しているのか?

受験勉強もない、卒業への壁もない「名ばかり大学生」が確固たるものとして存在していることを前提に、ならばこの層の子供たちに勉強をするよう促すことは、一体どういう営為となるのか考えてみよう。

図5のグラフは高校三年生の進学先を、年次推移に従ってまとめたものである。

一九七〇年代における大学と短大の進学率の合計は約三〇%で、この進学者は、ほぼ全員勉強をした者たちである。それは、日本の大学定員が常に志望者に対して少なく、学力の低い者が門前払いされるからである。勉強の濃淡によって進学大学の「格」が変化し、その濃度が薄くなればなるほど、大学の門をくぐれなくなる可能性が高い。

もちろん就職、専門学校のコースを目指す者がすべて大学進学者より学力が低く、大学進学者の学力最下層の者すべてが、就職、専門学校志望者よりも学力が高いわけではない。しかし、大学に進学するためには受験勉強が必要であり、その受験勉強から降りてしまう就職、専門学校志望者たちと比較して、大学進学者は「 概ね」学力が高いと考えてよい。

よって、図5のグラフからすると、大学の教員は、少なくとも世代上位三割とは言わなくとも、上位五割程度のレベルの学力を有する者たちを相手にしていたことがわかる。

しかし現代において、この状況は一変する。大学に進学するか否かは、大学に進学したいという希望を持ち、学費を払う目途がつくかどうかにかかっている。つまり、理屈からすれば、世代の中で最下層の学力の持ち主であっても、最も勉強しない、筋金入りの「反勉強主義者」であっても、大学進学の望みは極めて容易に叶うのである。

この大学生こそが、まさに「名ばかり大学生」と言える存在であり、大学の教員たちが半ば手を焼き、半ば放置している新しい大学生像を提示する者たちである。

筋金入りの「反勉強主義者」というのには笑ってしまった。かつての僕がそんな感じ。大学には通っているもののサークル活動メインで勉強はそっちのけ。バイトに明け暮れる日々で卒業しても就職氷河期なのでろくな会社に就職できないと就職活動はバイト先で。そんな学生生活でした。今になって高い授業料を払っていたのだからもっと貪欲に学ぶべきだったと後悔している。年間100万円も払っているのだから(笑)。今100万円を使って勉強しようと思ったら色々な選択肢があってそれこそ授業料を無駄にしたことを後悔している。何者にも変え難い猶予期間である学生時代のこの時期に勉強する習慣が身に付いているかいないかで社会に出てからの評価が決まる。

AO入試で毛色の違う学生を

自分の世代の大学入試像を温存したまま、今の大学入試をイメージすることは危険である。なぜなら、それは極めて複雑怪奇なものとなっているからだ。

まず、一九七〇年代ならば、大学入試はほぼ一般入試で構成されていた。これは完全な一発勝負のペーパー試験であり、受験生は、国立一期校(人気のある国立大学)、国立二期校、私立大学の中から、自分の状況を踏まえて志望大学を選び、試験時間に遅れないように集合して、ただひたすら問題を解いていた。本人の個性などまったく考慮されないのがポイントである。

それに対して、現在は一般入試に関して、まずセンター試験があり、その後に国公立大学の試験が設定されている。センター試験は一次予選の機能を持ち、国立大学のレベルが高くなればなるほど、筆記重視の二次試験の重要度が増す。ちなみに、近年のセンター試験受験者数は減少の一途をたどり、この七年で一割減っている。また、一般入試は、私立大学でも今なお活発に実施されている。一発勝負型の試験は健在だが、それを離れると、試験は一気に軽いものになる。

まずは指定校推薦やキリスト教推薦(ミッション系)などのように、ほぼ高校の成績だけで決まる制度がある。これは、学校どうしの契約のようなものなので、基本的に落ちない。しかし、推薦で入った学生の成績の追跡調査を行うので、これが悪いと母校の指定校推薦が次年度以降、取り消されてしまう。

さらに、この他に公募制推薦入試やAO入試という仕組みがある。

このAO入試のAOとは「アドミッション・オフィス」の略で、元来は大学の教員ではなく、入学試験事務局が学生のスカウティングをするという試験制度だった。しかし、これをいちはやく導入した慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)が個性重視を掲げ、活動実績や小論文、面接で合否を決めたところから雲行きが怪しくなった。筑波大学や九州大学も、導入したはいいものの、結局、個性があっても大学の講義についていけない者が続出した。現在、レベルの高い大学では、このAO入試は縮小傾向にある。

代わってこの制度を導入したのは、偏差値下位の私立大学である。個性重視の旗印のもと、無試験の隠れ蓑にAO入試の名前が使われ、学生の確保に大きく貢献している。

というのも、AO入試に似た試験で、「自己推薦入試」「公募制推薦入試」「自由選抜入試」「特別総合入試」「一芸入試」などがあるが、これらは出願受け付け時期が一一月以降に設定されているなど、ある程度規制されている。しかし、AO入試にはこの規制がなく、いついかなる時に試験を実施してもいい。だから青田買いの格好の手段になるのである。

ちなみに、このAOを含めた推薦入試経由の大学生は推定二〇万人近くおり、その学力が懸念されている。また、少子化による募集環境の悪化から、AO入試を介して合格通知を先んじて送り、今なお青田買いに勤しんでいる大学も多い。

このように、現在のAO入試には極めて問題が多いため、文部科学省は新しい通達を大学に示した。これは、推薦入試とAO入試の合計募集人数の割合を、全募集人数の五割にするもので、現行の推薦三割、AO無制限ということはできなくなった。規制ではなく通達だが、AOを含めた推薦入試は規制の対象と見られ始められているのである。

AO入試が学力の低い学生の入学への入り口として機能し始めたのは僕らの世代からか。当時は一芸入試なんて言葉もあったが今はあまり聞かない。やる気があるように見せるのはテクニックでどうにでもなり、そこで自己アピールだけ上手い輩系の学生を取ることになる大学側。そんなデメリットをよそにいまだに続くAO入試。大学側の学生を確保したいので間口を広げるという目的は達成しているが学校のレベルが下がるような使えない学生を量産することに。

名ばかりの大学生。まさしくこの言葉を具現化したような学生だった僕にはあるあるがいっぱいで楽しませてもらった。これから大学に通おうという学生さんたちに読んでもらって自戒してほしい。

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