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教育の洗脳から解き放たれるたった一つの方法は没頭すること!

日本には著者のように「我慢しない人」を軽蔑する文化がある。そして「我慢強い人」は褒め称えられる文化がある。どんなに不満があっても、どんなに理不尽な状況に置かれても、それを耐え忍ぶことを美徳とし、耐えしのいだ先にこそ「成功」が待っているかのような言説がまかり通っている。ほとんどマインドコントロールに近い不条理なこの呪いが、この国全体を覆っている。その原因は何か?

「使いやすい労働者」を大量に生産する工場

読み書きそろばんができ、指定された場所に毎日規則正しく通い、リーダーの指示に耳を傾け、言われた通りの作業に励む。そんなサイクルをこなせる「きちんとした大人」を大量に用意するには、子供の頃から仕込むのが一番手っ取り早い。つまり学校はもともと、子どもという「原材料」を使って、「産業社会に適応した大人」を大量に生産する「工場」の一つだったのである。今の学校も、この原則はまったく変わっていない。学校で押し付けられるのは、「工場=会社」の予行演習のようなことばかりだ。例えば時間割の厳守、全体行動、一方的な評価、ボス=教師の言うことへの服従‥‥。

これに従わず、好きなことに没頭していると、僕のように大学でドロップアウトしたりして、社会のレールから外れた道を歩まざるを得なくなる。工場に好き勝手やる人材は必要ないのだ。こうした世間の常識を小さい時から叩き込まれる教育は国づくりのための洗脳であるという。ちょっと前に森友学園が教える教育勅語が話題になったが、あれだって、国民のナショナリズムを叩き込むための教育であり洗脳だ。兵士として戦うこと、出産すること、そして納税。国民に求められる三つの要素を教え込んだ結果、いざ戦争となると特攻や、飛んでいる戦闘機に対して届きもしない竹槍で応戦なんて馬鹿馬鹿しいことがまかり通るようになる。

国などなくても生きられる

もう「国民国家」と言うフィクションは力を持っていない。「国家」はなくなりつつある。昨晩、僕らがイメージしていたような形の国家は消滅するだろう。例えば、あなたが明日から、シンガポール勤務を命じられたとする。不安はあるだろう。自分の英語力でやっていけるだろうか、自宅や周辺のインフラはどうなのか、友達はできるのか、家族はどうなるのか、いろいろな思いが頭の中を駆け巡るはずだ。でも、「そこで生きて行けない」とまでは思わないだろう。今やインターネットという万能の武器があるからだ。インターネットさえ使えれば、日常の大半の問題を即座に解決できる。(中略)インターネットがもたらしたものについて、「国家がなくなった」と考えている人は多い。遠い外国の情報も瞬時に、リアルタイムで入手できるようになったと。しかし、インターネットがもたらした本当の衝撃は、国家がなくなることなのだ。

国家がなくなるとまでは思わないが、垣根が取っ払われたのは事実。日本に住む日本人であることよりもネットが繋がる場所にいること、アマゾンの配達が届く場所にいること、スマホの充電ができることの方が、日々の生存戦略に関わってくる。LINEやグーグルマップが使えず、代わりに電話とFAXだけのやり取り、そして紙の地図を広げて現在地確認。こんな不便は今や考えられない。今後、AIの技術が発達して自動翻訳アプリが実用レベルに達したら、アメリカ人を「違う国の人」と感じる機会も大幅に減ることになるだろう。国外や国内でもモノの移動に関するコストは以前と比べ格段に安くなっている。手軽にいけるところならむしろ行く価値がないようにも思うし、アマゾンで注文すればモノだって翌日に(プライム会員なら、数時間で)手に入れることができる。「場所」の意味が失われた時、都道府県も国民国家というファンタジーも瓦解することとなるだろう。

これからの幸せは「快」のシェア

モノやお金の価値が最小化されていく社会では、誰にどれだけ指示されているか、共感されているかが重要な意味を持つ。逆に、モノをどれだけ持っているかは人の人生を決定づける要素にはならない。つまり、「所有」のために「やりたくないこと」に従事する時代は終わったのだ。

これからは人がやりたがらない辛い仕事のほとんどはAIやロボットが行うように。SNSのいいね!ボタンが象徴するように時代のニーズは素朴でポジティブな感情だ。この先、嫌なことを人に押し付けたりしないでも十分生活できる世の中になるだろう。そこで大事になるのが「やりたいこと」をどれだけ本気で行えるか。指示や共感を得られるのは、心からやりたいことをやっている人たちだからだ。

学びの本質は没頭にある

僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。脇目も振らずに没頭し、がむしゃらに取り組む体験の全てが「学び」だと僕は思っている。だから、没頭する対象は数学や英語、料理だろうとダンスだろうとなんでもあり得る。すなわち、その人が心から没頭できていれば、対象は何であれ、僕はそれを「学び」ととらえる。

「勉強」が受動的な行為であるのに対し(会社の研修なども同じ)「学び」は常に能動的。教育の洗脳から解き放たれるにはこの「学び」へのステップアップが必要だ。僕は興味を持ったらなんでも手を出してみる。それが没頭できるものならば、本やネット、学習アプリなどでいくらでも安価に手を出せる時代になった。英会話教室に通ったが、結局話せるようにならなかった人や高いセミナー料金を払って一流講師の話を聞いたが、自分ではまだ何もしていない人など。そんなんでは費用対効果が非常に悪い。

自分に三つのタグ付けをしレアキャラ化する。僕の場合、無職、読書好き、統合失調症患者と三つタグ付けするだけでかなりレアな存在になれる。何か没頭できるものを見つけ、とりあえず行動に移してみると世界が広がって充実した毎日を送ることができそうです。

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