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『台湾で見つけた、日本人が忘れた「日本」』台湾には、私たちが置いてきた「歴史」が息づいている

台湾の中国との関係、人々の生活、IT産業、農漁業、インフラ、伝統文化、日本遺産、原発問題、尖閣問題など多岐にわたり実情を採取。事件記者がジャーナリスティックな目で台湾を捉えようとした試みであり、硬軟織り交ぜたルポルタージュ。

台湾中部大地震と東日本大震災

一九九九(平成一一)年九月二一日、南投県を震央とする最大震度7の直下型地震が大地を揺すった。台湾の報道は二〇世紀最大規模の地震と表現した。死者、行方不明者は二四〇〇人余に上った。台中など中部ではビルが倒壊し、鉄道が寸断され、生活インフラがストップした。このとき、日本から消防を中心とした救助隊がその日の夜に現地入りし、活動を展開した。世界各国が救助隊を派遣したが、日本が真っ先に駆けつけた。台湾の人々はその音を胸に刻んだ。

台湾中部大地震から12年、日本でも東日本大震災が起こる。台湾はこれに即座に対応。救援隊を送ってくれた。総額200億円の義捐金とともに。これは世界最高レベルのものであり、台湾政府、財閥、大手企業はもちろん、多くの市民からの寄付が中心だった。テレビや新聞は「加油(がんばれ)日本」のメッセージを流し、町の店先にも復興祈願の短冊がぶら下がっていた。

親日で知られる台湾だが、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に編入された1945年10月25日までの日本統治時代があった。この間多くの日本人が木造建築の建物を立てたが、「残す」という美風がある台湾では未だにこの木造建築が残っている。長屋、仕舞屋風住居、庭園付きの和風建築、駅舎など。

義愛公として祀られる森川清次郎

富安宮。日本警察の巡査だった森川清次郎が神様になって祀られている。森川は日清戦争後、日本統治下になった台湾に渡り、副瀬村の副瀬派出所に警官として勤務した。彼はこの村で警察官の傍ら、寺子屋教育、衛生教育、農業指導に取り組み、その熱心さから村人に慕われたという。しかし、副瀬村は貧しい村だった。そこに追い打ちをかけるように日本の台湾総督府は、漁業税の上乗せを課してきた。森川は義憤にかられ、一九〇二(明治三五)年、村人のため東石にある上級庁警察(東石港支庁)の上司に減税を嘆願したが、納税拒否の扇動者とみられ、戒告処分を受けた。森川は目的を果たせなかったことを村民に涙ながらに詫び、翌々日朝、村田銃に弾薬二発を込め、「警邏に出る」と言って近くの慶福宮という廟に向かった。そして一発の銃声が響いた。心配していた村人の誰もがその音を聞き、駆けつけた。森川は村田銃の銃口を喉に向け、足の指で引き金を引き、自殺。四十二歳だった。

その後、こんな伝説が生まれる。台湾各地にペスト、マラリアが蔓延し副瀬村でも脳炎が多発した。そんな折、副瀬村村長の夢枕に森川が立ち「生水、生ものを口にしないこと」とお告げを告げたという。結果、村長はこのお告げを村人に守らせ患者をほとんど出さずに済んだという伝説だ。村人は森川の恩に感謝し、義愛公の尊称を与え、富安宮に神として祀ったそうだ。神となった森川は信仰の対象となり、今でも病の快癒を願いお参りする村人が絶えないという。

これには後日譚がある。2000年ごろ信仰している方が、義愛公から『横浜に帰りたい』というお告げを聞き、それを受けて里帰りが計画され、ご神体は40人の信仰者とともに横浜の地を踏みました。義愛公は今も台湾人の心に生きている。

日本列車と同じ仕様で

台湾の東部は太平洋に面している。主な町は南から、台東、花蓮、宜蘭である。これらの駅と台北を結ぶ鉄道には日本製列車が活躍している。

車内は日本の在来線特急と同じ仕様。旅客は静かに新聞を読み、パソコンを開き、母親は子供をあやし、弁当を広げている人も。乗車していると、途中何度か弁当の空き箱など車内で出たゴミの収集ワゴンが行き来し、乗客がゴミを出すと女性収集員が「ありがとう」と応答。日本ではこのような行為も当たり前だが、大陸・中国人は列車に乗ると車内で騒ぎ、大声を出し、ゴミを放り出すなど傍若無人ぶりを見せることも少なくない。彼らと台湾の人々が同根民族とは思えないほどだ。

弁当の話が出てきたので豆知識。台湾でも日本語の「ベントー」で通じるらしい台湾では「便當」という漢字が用いられるが、発音は北京語で「ビエンダン」だが、日本統治時代の「ベントー」で十分通用する。台湾語では「飯包(ペンパオ)」と呼ばれ、別に「ベントン」という言い方もある。

政治に利用されて

テレサ・テンは早くから歌唱に才能を発揮し、芸能界で認められ、アジア各国、日本などで活躍するようになった。父親はかつての敵国だった日本への彼女の渡航を苦々しく思っていた。彼女はふりきって日本に向かい、デビューした。レコードは爆発的売れ行きとなった。

流行を知った中華民国政府の国民党はテレサ・テンの政治利用を画策。台湾領土の金門島から歌声を大音量で大陸に向かって流し、音楽テープをつるした風船を飛ばすなど現在の韓国、北朝鮮間で行われている宣伝工作と同じようなことが行われていた。

日本統治下の文化も色濃く残る台湾、最近では政情不安の中国や韓国への渡航を台湾に変更する向きもある。セブンイレブンやファミリーマート(全家)なども多く見かけるこの国に日本人が忘れた「日本」を見ることができる。

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