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『仕事なんか生きがいにするな』〇〇のために生きるをやめる!

働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い。しかし、それでは人生は充実しないばかりか、長時間労働で心身ともに蝕まれてしまうだけだ。しかも近年「生きる意味が感じられない」と悩む人が増えている。結局、仕事で幸せになれる人は少数なのだ。では、私たちはどう生きればよいのか。ヒントは、心のおもむくままに日常を遊ぶことにあった。

生きる意味を問う夏目漱石の「高等遊民」

この「高等遊民」の問題は、当時の国民全体から見れば、一部の限られた人たちに生じた、あくまで限定的な問題に過ぎなかったと言えるでしょう。しかし現代においては、多くの人が高等教育を経ているのにもかかわらず、就労環境はニート、フリーター、ワーキングプアなどの言葉が次々に生み出されるほど、過酷な状況になっています。つまり、現代の「高等遊民」問題は、もはや昔のように限定的なものに留まってはおらず、社会全体にあまねく認められるほど全体的な問題になってきているのです。

僕は大学を中退しているのでここでいう「高等遊民」には当たらない。しかし、病気を理由に働かない(働けない)で本を読んだり、ブログを書いたりおよそ生産的とは言えない生活を送っていることを考えるとニートを年齢で卒業した僕はカテゴリー的にいうとなんと言われるのか疑問が残る。二度の自殺未遂から生還した僕は生きる意味なんてなんでもいいと思う。「高等遊民」のように哲学的思考があるわけでもなく、ただなんとなく生きる。小遣いと僅かばかりの他人からの承認を得るためにブログを書く、それで生活が成り立っているのだから今のままでもいいんじゃない。義務や責任から逃げた結果、結婚できないというリスクは生じているが、無理に背伸びして就職先を探し、婚活をしようとなど考える必要はないとすら思っている。

労働をする動物という名の奴隷

私たちの現代とは、決してギリシヤ時代よりも進歩したのではなく、皆が<労働する生き物>という名の奴隷以下に成り下がってしまい、人間らしい「観照」も「仕事」も見失ってしまった時代なのです。そんな本末転倒の時代にあって、少しでも人間らしいあり方を求める者は、『それから』の代助のように「食う為」だけの<労働する動物>に成り下がることを潔しとせず、「観照生活」を求めて「高等遊民」という浮遊したあり方を選ばざるを得ないということもあり得るわけです。

今考えると、ゲームセンターに勤務していた一時期は、ある意味会社に飼われる奴隷のようなものだった。稼いだ金の大半を自社のゲームにつぎ込み自ら売上に貢献する。現在のゲーマー事情は変わってきていて、上手くなって大会などにエントリーし賞金を得ることができるようになっている。プロゲーマー育成の専門学校まであるぐらいだ。僕らの頃は、ただそのゲームが好きな人間が集まり交流する場であり、賞金などは考えられなかった、優勝商品もトロフィーや非売品のポスターなどショボいもんだった。そういった世界から離脱し今の隠遁?生活があるわけだがこうした浮遊した生活を送る人はネットなどを見るかぎる昔より多いような気がする。働き方改革が号令のように叫ばれ、CMでは今よりいい会社への転職を促すようなものも散見する。長時間労働や理不尽な中間管理職がいる会社はこれから人材確保に手を焼くことになりそうだ。

「天職」を遂行することが「世俗内禁欲」

ひたむきに「天職」を遂行することが「世俗内禁欲」という徳のある生き方であるというプロテスタントの価値観が出発点となって、「労働」して稼ぐことこそが善行であるとされるようになったこと。そして、そこから資本主義というものが生み出され、「働かざる者食うべからず」といった「資本主義の精神のエートス」が力を持ってしまったこと。つまり、ラファルグの「資本教」をもじっていうならば、「労働教」という宗教にすっかり近・現代人が取り憑かれてしまったということ。

働くことが奴隷的で非人間的なものと捉えると、「高等遊民」の抱いた違和感とはそのようなおかしな生き方への真っ当な違和感であるのではないだろうか。アウシュビッツ収容所の入場門に掲げられた「働けば自由になる」という標語が真っ赤な嘘であるように、「労働教」が支配する世の中で、労働とは一線を引くものが現れてもおかしくない時代なのだ。

食という芸術

巷にはびこる栄養学的知識に翻弄されて「これは身体に良い」とか「身体に悪い」とか考えて食べ物を選んだり、様々な健康法や健康食品などを信奉して、何かを「毎日続ける」ようにしているといったことにも問題があります。このような食べ物はいわば「頭」で食べているようなものであって、内なる自然である「心=身体」の声である食欲を無視した、かなり不自然な状態に陥っていると言えるのです。

テレビを見ていると、健康食品やサプリメント、栄養補助食品のCMを嫌という程、見ることになる。僕はこういったものに懐疑的で、自分の好きなものをストレスなく美味しくいただいた方がプラシーボ効果が働いて身体にはいいのではと思っている。もちろん、高いお金を払って健康に良さそうなものを摂取することでもこのプラシーボ効果は発揮されるだろうが、お金がかかるという難点が。

生活を遊ぶための工夫を日常に取り入れることで豊かになります。時には頭で考える、合理性を排除しその対極にある、「即興」を積極的に取り入れることが日常をスリリングなものに変えていきます。何を買うか決めずにネットショッピングをしたり本屋を回遊したり。継続は力なりという言葉があるが、興味あるものになんでも首を突っ込み、気が向かなくなったらやめる。それだけでも人生を遊ぶことができるようになると再確認させてくれる書籍でした。

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