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アドラーVS古代ギリシャの智恵。幸福になるための鍵とは?

人は幸福にならなくても幸福で<ある>のなら生き方も変わってくる。今ここを生きればいいからである。幸福であることを願わない人はいないはずなのに、なぜ、多くの人は幸福感を得ることができないのか?アドラー心理学と専門のギリシア哲学の知見を基にじっくり、深く考えた上での最終回答がここに。幸福になるための鍵は、ちょっとした気づきや視点の転換にある。人間が幸福になるための有益なヒントを見ていこう。

人生の意味はない

ある時、「人生の意味は何か」とたずねられたアドラーは次のように答えた。「人生の意味はない」(Adler Speaks)アドラーの講演録には、確かにこう書いてある。しかし、このアドラーの言葉には続きがある。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」これを読めば、アドラーが本当に「人生の意味はない」と言っているのではないことがわかる。そうではなく、誰にでも当てはまるような、あるいは、世間で言われているような常識的な、一般的な意味での人生の意味はない、そういっているのである。

人生の意味とは何かというのは、まさに哲学と言った感じ。哲学はよく抽象的だと言われることがあるが、実際は具体的に考える。例えば木の枝に鳥が5羽止まっていたとしてそのうちの1羽をライフルで撃ち落としたら何羽残るかという問いに対し、算数や数学であれば、4羽が正解だが、実際にはライフルの音に驚いた鳥たちは一斉に飛び立ち1羽も残らない。算数では数だけを問題にし、音に驚くというような事情は考慮しない。抽象というのが一つの側面を切り出して他の面を見ないことだとすると算数は抽象的だ。

幸福を阻むもの

生まれてこなかったことが最善の幸福であり、次に幸福なのは、生まれてきた以上、できるだけ早く死ぬことだというギリシャ人の生死についての考えは、現代人の常識とは程遠い。だが、死を神からの祝福であるとギリシャ人が見ていることからは、死は不幸であると見ることが、決して自明ではないことを示している。

幸福の最中にいる人は、死ぬことでその後に経験するかもしれない苦悩を味わわずにすむ。その意味では死ぬことは幸福を完成させるようにも見える。しかし、必ずしも最良のタイミングで死が訪れるとは限らない。ギリシャ悲劇では、ストーリーが行き詰まると作家が「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)を持ち出して、主人公を殺してしまう。そうすることで問題を解決するのだ。しかし現実では、人生に行き詰っても、生き続けなければならない。自分の人生のこれから訪れるであろう苦悩を考え不安に満ちた日々を送っていると、何か不可抗力的な力で死んでしまえたら楽になるのにと考えることがある。そうすると、これから訪れる幸福も捨ててしまうことになるので、そういうのが幸福を拒むものなのかもしれない。

幸福になれると思う人、なれないと思う人

幸福を阻むものが多々あったとしても、大学に入り、就職さえすれば幸福になれると思っている人がいる。そのような「成功」を約束し、そのための方法を教える人もいる。彼らは、政治家になりたいという人に、弁論術などそのために必要な知識を教え、成功を約束した古代ギリシャのソフィストのように見える。

人より多くの所得を得ると言った成功も幸福を構成する要素の一つかもしれないが、そういった人は、本当にそれが幸福なのかについて一切疑問を持たない。成功さえすれば幸福になれると信じて疑わない。しかし、成功しなければ幸福になれないのかといえば、そういうものでもない。社会的な地位があり、高所得な人と結婚すれば幸福になれると思っている人も同じだ。幸福について深く考えない人は、人生の意味についても全く考えたことがないか、若い頃は考えていたけれども、社会人になってからはそのようなことは考えようとも思わず、日々の生活で忙殺され歳を重ねていくこととなる。

嫉妬の対象

百メートルを走るのに十秒切る人がいてもそのような人を嫉妬する人はほとんどいない。決して自分の手に届く記録ではないことを知っているからだ。他者の美を妬む人はいる。他者の美を量的なものと考えているからである。美を量的に捉えている限り、自分にも勝てるのではないかと思う。しかし、実際には他者の美に到底追随できないと分かれば嫉妬しなくなる。つまり美が質的な差異であるとしれば嫉妬しようとはおもわないし、勝とうともおもわなくなる。化粧や整形ではどうすることもできない美は追随しようがないからである。

ちょっと手を伸ばしたら届くんじゃないかと思えるラインにいる人やなんかには嫉妬するけれど、あまりにも自分とかけ離れていると嫉妬の対象にすらならない。例えば、同じマンションの住民などだと、そのマンションを購入できるだけの経済力を持ち合わせた人のグループなので持ち物や車などが嫉妬の対象となったりする。しかし、相手が豪邸に住むセレブとなると現実との乖離から嫉妬の対象外となる。

自身で向き合うしかない人生の課題。失敗した時の再起の努力が必ずしも成功するとは限らない。だから再起の努力をしないで、逆に人生の方に挫折の原因を求めてしまう。闘病中の人が今より少しでもよくなるためリハビリに励む時、他者は関係ないので、競争して他者より上に立つことは問題にならない。立ち止まったり逆走したり、時にはゆっくりと進むこともでき、自分ではない誰かに「なる」必要はなく、私で「ある」ことに満足する。不完全である勇気を持てばこの生きづらい世の中も少しはマシに見えてくる。人は幸福にならなくても幸福である。

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