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「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」から「行」の実践を試みる

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おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』池上彰著で仏教について触れていたので、興味があった精神科医の名越康文氏のゆるめの仏教関連書籍を手に取った。

どうせ死ぬのになぜ生きるのか

ものすごく努力してお金を稼いだ人も、どれだけ怠けて親のスネをかじった人も、死んだら同じです。勇気を振り絞って大好きな人に愛情を伝えた人も、傷つくのを恐れて無為に過ごした人も、「やがて死ぬ」という一点においては変わらない。

確かにそうかもしれないが、双方同じような充実感や達成感を得られるか?といった点では、やはり努力や挑戦をしないのはもったいないのではないかと思ったりもする。某CM風に言うとやらないよりもやっちゃった方が楽しいに決まってる。「やがて死ぬ」ことに変わりはないが。

序盤は名越少年がいだいていた「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」に対する答えを仏教の「行」や「瞑想」等に見出していった物語が綴られている。

仏教は自分の心とのつきあい方や生き方について、「こうすればいいよ」という具体的な実践の指針を明確に打ち出しながら、二千五百年以上もの間、人々に指示を受けてきました。

僕自身特定の宗教はは持たない「門外漢」だが、祖父母の法事など折に触れて説法などを聞くとそれが自分にとって身近な問題の解決の糸口となることもある。

「行」とは何か?

二章以降では簡単な「行」の行い方が書かれている。ハウツー本を買ったぐらいで人生を変えることができないように(実践に移さない、もしくはやっても数日、長く保つ人でも一ヶ月で一年、二年と続けられる人は稀…これは耳が痛い。)プラスアルファの実利だけでは人間は行動を変えない。そこで実利が示されないまま、「ただやる」ということが要求される「行」がいきてくる。どんなに眠くても朝起きてシャワーを浴びるとか今時の言葉で言うと「ルーティーン」に似たものかもしれない。仏教は神の言葉や賢者の教えとして言葉で伝えるものではなく、「行」をやることで自らの手で掴みとるものだということだ。

僕らの心はたいてい、怒りや妬み、不安といったネガティブな感情に支配され、コントロールを失ってます。だからこそ、必要なことは、本書の冒頭から繰り返し述べて来たとおり、「行」に取り組むことなんです。

「行」には怒りを取り払う効果や、加えて頭の中でゴチャゴチャとまとまらなかった考えが、すっきりと晴れやかになるような効果もある。僕の場合は靴磨きや洗顔、入浴の最後に冷たい水を浴びる等がそれにあたりそうだ。

後半ではお寺の活用方法や「瞑想」について書かれているが「行」と比べるとちょっとハードルが高いかなといった印象を受けた。最後に困っている人に親切にするという「方便」について触れており、「行」と一緒に実践することで初めて悟りが完成するとある。

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